「医学で貧困は治せない」人道支援家に転身した女子医学生、ボコ・ハラムとの闘い
‘My School Was Attacked by Boko Haram’
医者になる夢を捨ててガマンは人道支援の道を選んだ AMY GAMAN
<レイプ、誘拐、武装勢力の男との強制結婚......。過激思想に染まった人を医学では治せない。必要なのは貧困をなくし、教育の機会を与えること。今、私にできることとは?>
大学生活の2年目が始まった2009年の秋、19歳の私は不安だらけだった。親元を離れて暮らすのには慣れてきてはいた。でも、正体不明の反政府勢力ボコ・ハラムの脅威が身近に迫っていた。
あの頃、ボコ・ハラムは既にナイジェリア北東部の市街地の近くまで進出して攻撃を繰り返していた。私の通うマイドゥグリ大学(北東部のボルノ州にある)でも多くの学生が怖い思いをしていた。
通学途中で拉致された人。レイプされた人。誘拐され、武装勢力の男と結婚させられた人の話も耳にした。銃弾で命を落とした人もいる。学生用宿舎の裏で6人の遺体が見つかったことも。
次に襲われるのは誰? 狙われるのはどこ? とにかく怖くて、不安だった。
当時の私は医者になりたくて勉強していた。それが6歳頃からの夢だった。母が看護師だったので、同じように病院で働きたいと思った。医者も、医者を補助する人も、みんな人の命を救うヒーローだと信じていた。
でも、2010年10月に全てが変わった。あのとき私は、キャンパスから車で10分ほどの所にある大学病院で病理学の研修をしていた。
すると建物が揺れて、爆発音がした。みんな、慌てた。数分後には2度目の爆発があった。さらに3度目も。後で知ったのだが、爆発は近くの市場と郵便局の辺りで起きていた。
医者に何ができるの?
われに返ったのは、負傷者が病院に運ばれてくるのを見たとき。あっという間に増えて、病院内は大混乱。もう学生か医者か、清掃係かは関係ない。とにかくみんなで負傷者に対応するしかなかった。
もう息のない人もいた。忘れられないのは、まだ8歳くらいの男の子。出血がひどくて、手の施しようがなかった。彼を運んできた初老の人は、何度も「助けてやってくれ!」と叫んでいた。でも、あの子は死んでしまった。