ワリエワ「ドーピング疑惑」で傷ついた選手たちに、元選手として伝えたい思い
I’m a Former Figure Skater
現役時代のコックスは兄ブラッド(後ろ)と共にアイスダンスやペアの競技に出ていた JOCELYN JANE COX
<競技生活の「負担」や「失意」は、現役中はもちろん引退後も続く。フィギュアスケートが自分の一部だと認められるようになるまで>
北京冬季五輪でロシアオリンピック委員会(ROC)の女子フィギュアスケート選手、カミラ・ワリエワのドーピング疑惑が話題となり、私は胸が痛くなった。私自身、11年間フィギュアスケートをやっていたからだ。
80年代後半から90年代初めにかけて全米選手権に4回出場した。選手はみんな、1日数時間の練習を週に5~6日やっていた。多くのエリート選手は学校に通わず、自宅で勉強していた。私も高校には午前中しか行かなかった。クラスメイトと深く知り合うこともできなかった。
完璧な演技を目指して努力を重ねても失望しか残らないこともあるし、そうした経験を消化するのに何年もかかる場合もある。だから今回、ドーピング問題の影響を何らかの形で受けた全ての選手を気の毒に思う。周囲の選手たちのいら立ちは手に取るように分かる。禁止薬物で陽性だったのに出場が許される選手がいたとなれば、どうしたって割り切れない思いは残る。
長年にわたり多大な犠牲を払い、多額の費用負担(私の場合は年に数万ドル)に耐えても、多くの選手は失意のうちに競技生活を終える。私もそうだった。私がスケートをやめたのは19歳の時。けがが重なったこともあり、犠牲のわりに得られるものが少ないと感じたのだ。全米ランキングのトップ10入りする目標も果たせず、敗北感が強かった。
新しい人生を見付けようともがいた日々
現役引退後はフィギュアスケートのコーチを始めた一方で、スケートから距離を置いて全く新しい人生を見つけようともしていた。元アスリートにありがちな話だが、新しいアイデンティティーを見つけようと何年ももがいた。
付き合った男性の中には、私のスケート歴にばかり興味を持つ人が少なくなかった。ところが36歳の時に出会ったロブは、私が何者かを知るための質問を重ねてくれた。そして彼は、私をニューヨークのロックフェラーセンターのスケートリンクに誘った。
リンクは混んでいたが、私は他の客をよけてすいすいと滑った。ちょっとだけ片足で立ったりスピンしたり弧を描いて滑ってみたりもした。それだけで周囲の客やロブの視線は私に集まった。