音楽界のカメレオン、セイント・ヴィンセントが70年代に回帰
St. Vincent’s Latest Persona
伝説の女優をモデルにファッション面でも70年代をよみがえらせた PHOTO BY ZACKERY MICHAEL
<1作ずつキャラクターを変えるセイント・ヴィンセントが、新譜で幼少期に父と聴いたレコードを振り返った>
シンガーソングライターのセイント・ヴィンセントことアニー・クラーク(38)は、アルバムを出すたびデヴィッド・ボウイのようにキャラクターを変えてきた。
2011年の『ストレンジ・マーシー』では「薬物依存症の主婦」、17年の『マスセダクション』では「精神科病院にいるSMの女王様」。新作『ダディーズ・ホーム』では物騒だが自由で開放的だった1970年代のニューヨークに回帰し、アンディ・ウォーホルの世界を体現する。
オクラホマ州出身のクラークは昔から70年代のニューヨークに憧れていた。「ダウンタウンのカルチャーシーンが最高に盛り上がっていた時代よ」と、彼女は説明する。
「生活は苦しくても音楽は素晴らしかった。60年代の瓦礫をかき分け、廃虚の中で力強く歌っている感じ。何となく今の時代にも通じる。私たちは古い権威を見直し、解体する過渡期にあるから」『ダディーズ・ホーム』は幼い頃父が聴かせてくれたレコードへのオマージュ。Pファンクやポインター・シスターズ、スティービー・ワンダー、スティーリー・ダン、ピンク・フロイド、『ヤング・アメリカンズ』期のボウイを想起させるサウンドだ。
「彼らの音楽がずっと耳に残っていて、その洗練に近づきたかった。先達の作品をきちんと学んで理解する力量がなかった頃でも、私は本能的に引き付けられていた」
トレードマークのシュールなサウンドスケープ、エッジの効いた歌詞、超絶ギタープレイに見事なボーカルは健在。だが全体のムードは未来的な前作『マスセダクション』からがらりと変わって、温かく内省的だ。
「前作のメッセージが『ハイになって、足から血が出るまで踊りなさい』だったとしたら、今回は『そのくたびれた肘掛け椅子でくつろいで、テキーラでも飲んでって』かな」と、クラークは言う。
「親しみやすい雰囲気になったのは、笑いと共感を込めて人を描いたから。登場人物の大半が私の分身だからこそ、不完全な人間が必死で生きる姿を表現できたのだと思う」
第1弾シングルのファンキーな「ペイ・ユア・ウェイ・イン・ペイン」を、クラークは現代版ブルースと呼ぶ。「社会はしばしば生存と尊厳のどちらか1つを選べと迫る。お金がない、恋人に捨てられた、世間で爪はじきにされたというのは、どれもブルースのテーマ。この曲ではそんな孤立感を歌った」