「アイデンティティ」を前に手が止まる日本人 自分が何者かを知るための第一歩とは?
異文化の中で学齢期を過ごす子どもは第三文化と呼ばれる独特のブレンド文化を創造する(写真はイメージ)kate_sept2004-iStock
<海外で育つ日本人の子どもの多くは、特定文化に属せない自分をネガティブに捉えてしまうケースが多い。自分のアイデンティティに迷った時は、時代を少しだけ巻き戻してみるといい。ルーツを探ることで「自分も違って当たり前」そう思えてくる>
アメリカでは日本よりも一足早く、大学受験シーズンを迎えています。アメリカの大学受験プロセスは長く、10月末~12月末にかけて出願を行い、合否発表は翌年の3月末から4月初旬です。なぜそんなに長い時間がかかるのかといえば、アメリカの大学入試は、AO方式(アドミッションオフィス方式)で合否を決定するからです。
SATやACTと呼ばれる全米学力テストの点数、高校時代の学業成績、スポーツや音楽の活動実績、ボランティアやインターンなどの社会経験、先生の推薦状、そしてエッセイを総合的に評価して合否を決定します。人気がある大学には5万人以上の受験生が殺到しますから、当然、審査に多くの時間を要するわけです。
テストの点数で合否決定するアジア諸国の大学入試とは比較にならないほど手間と時間のかかる大学入試システムなのです。
さて、AO方式の是非は横におき、日本人学生(米国在住)がアメリカの大学受験をするとき、大きな壁として立ちはだかるのがエッセイです。
エッセイは大学進学を希望する若者が18年間生きてきた道のりの集大成であり、自分という人間を大学側に知ってもらう(売り込む)ツールです。多様性を重視するアメリカの大学は、エッセイによって受験生のアイデンティティ、才能、人間性、将来の可能性を見極めているのです。
大学受験エッセイは自由作文でなく、与えられた課題について書くのが一般的です。たとえば全米800以上の大学で導入されている「カマンアプリケーション」のエッセイ課題の一つは「自分のバックグランド、アイデンティティ、興味、才能について詳しく説明する必要があると感じる人は、自分のストーリーをエッセイで共有してください」というものです。
異文化の中で過ごす子どもの危うさと可能性
日本人の子どもは「アイデンティティ」という言葉を前にすると手が止まってしまうのです。「自分は日本人だけど、日本人とはいったいどういう人なんだろう?」「日本語が話せれば日本人なのだろうか?」「自分を日本人だと思っていたけど、日本で育った日本人とは少し違う気がする」と、考えれば考えるほどアイデンティティクライシスの泥沼にはまっていきます。
留学や転勤などで海外に出ると日本のことがよく分かる、日本がよりよく理解できる、日本のよい部分が見える、そんな話をよく聞きます。確かに海外で生活していると「日本人の代表」扱いされることが多く、自分は「日本人なのだ」という意識を植えつけられます。
だからと言って「日本人としてのアイデンティティが確立されるか」と言えば、そんなことはありません。むしろ「日本のことをよく知らない自分」「日本のダメな部分に気づいてしまう自分」に出会うことになり、衝撃を受けることの方が多いのではないでしょうか。