日本の女性を息苦しさから救った米国人料理家、日本で寿司に死す
フードジャーナリストとして順風満帆のキャリアを積み重ねながら華麗な交友関係を築き上げていくが、「より生活に根ざした食」、「困難を抱える人を助けるための食」を重要と捉えたかつての志を思い出し、きらびやかな世界と別れを告げる。料理を苦手とする市井の人を対象とした料理教室を開催することを決意し、ラジオを通じて呼びかけたのだ。
集まったのは10人。キッチンはレンタル。冷房も効かない、熱くて狭い厨房から、彼女と生徒たちの挑戦がはじまった。
料理を習うのに、遅すぎるなんてことはない
そのときの記録が、後に日本で思わぬヒットを遂げた前作『The Kitchen Counter Cooking School』(原書刊行は2012年)だったというわけだ。
料理に何らかのコンプレックスを持つ生徒たちへのキャスリーンのアプローチは至ってシンプルである。彼女は、料理に対する苦手意識、完璧すぎる母親に対する引け目、料理をバカにされたという子どもの頃に受けたトラウマ、といった個人的な恐怖心を一切否定しない。そして、傷ついた心に共感を寄せ、徹底的に励まし続ける。他人からすれば、些細な問題と思えることだとしても、訴える生徒の言葉を決していいかげんに流すことはない。
例えば、社会的には成功を収めている60歳を過ぎた精神科医の女性が、人生で唯一苦手とする料理に対峙する場面がある。キャスリーンの教室ではじめて習った料理の基本的な技術について、彼女は涙ながらにこうつぶやく。
私、なんでこんなに簡単なことを知らなかったのかな。なぜいままで習おうとしなかったのかな。
この女性の言葉に対して、キャスリーンはこう返すのだ。
ジュリア・チャイルドはね、32歳になるまで料理を習うことはなかったんですって。それまで、彼女ったら、食べるだけだったのよ。だから、遅すぎるなんてことはないと思うんだ。
このようなキャスリーンの温かい言葉に励まされ、料理ぎらいを克服した人は多い。彼女の料理教室に参加した人たちだけではない。10人の生徒たちの再生の物語を読んだ日本の読者の多くが、自ら包丁を手に取り、勇敢な料理人へと変貌を遂げた。
彼女自身は、この日本での異例のヒットについて、「私はBig in Japanだから」(本国アメリカよりも日本でなぜだか売れるという現象)と笑いながら話す。しかし、このヒットにはそれなりの理由があるようにも思えるのである。
それが、なにごとにも優秀であることを求められがちな、現代の日本の女性たちの息苦しさである。学校の成績も優秀で、キャリアも一流で、完璧な母で、妻で、娘で......そのためには料理や家事まで完璧でなくてはならない、という見えがたく、しかし確かに存在する重圧。そんな日常にあって、キャスリーンの言葉や、料理、そして人生に対するアプローチに救われた人たちが多くいたことは決して不思議ではない。