残忍非道な児童虐待──「すべてを奪われた子供」ルイ17世の悲劇的な末路
この再教育は6カ月間続いたが、後に派閥争いによりアントワーヌ・シモンは処刑された。母親であるマリー・アントワネットは、ルイ=シャルルの再教育が始まった数カ月後に処刑をされた。母は子供が受けている残忍な虐待を知ることはなかった。一方、ルイ=シャルルも母のギロチンによる処刑を知ることはなく、死後も花が好きな母のために、外で摘んだ花を母の部屋の扉の前に置き続けた、という説が残っている。
アントワーヌ・シモンが去った後、後見人がつくことはなく、ルイ=シャルルは約6カ月間不潔な部屋に放置されてしまう。
「この段階では、ルイ=シャルルの外出は禁止され、人との接触を奪われた。服は一切洗濯してもらえず、部屋の掃除もせず、便器は置かれなかったので排泄物だらけだったという説がある。暗く孤独な独房生活を送った」(ベクエ氏)
しかし半年後、ポール・バラス(後の総裁)によりルイ=シャルルは後見人をつけてもらえ、入浴、独房の掃除がされた。その後、ルイ=シャルルの快方を望む後見人の世話や、医師の診察も受けたが、時はすでに遅く、ルイ=シャルルは10歳で結核により生涯を閉じた。
「ルイ=シャルルの死後、何百人もの"タンプル塔から脱走した"という偽ルイ17世が現れた。検視中に盗まれた心臓はイタリア、オーストリアを経てフランスへ戻り、2000年代にDNA鑑定が行われた。これがルイ17世の心臓と証明され、ようやくこれらの噂は消え去った。現在ルイ17世の心臓は、サン=ドニ大聖堂にある壺の中にある」(デロルム氏)
ルイ17世は「すべてを奪われた子供」の象徴的存在
ルイ17世の悲惨な物語は、現在でも「残酷な状況のもとで生きる子ども」の象徴として語り継がれている。その例が、2019年6月にフランス西部にあるmusée des Guerres de l'Ouest(西部戦争博物館)で開催予定の「Un Buste Pour Louis XVII(ルイ17世のための胸像)」展だ。この展覧会で作品を手掛けた、フランス人彫刻家のカトリーヌ・ケアン氏に話を聞いた。
「私はフランス革命下で大虐殺がおこったナントで生まれた。私の地元では、200年以上前のこの出来事が、今でも会話の中に出てくる。そんな激動の時代に不運な人生を送ったルイ17世の生涯について小さな頃に知り、今でも強く私の心に刻まれている。この彫刻は、子供への暴力がいかに"犯罪"であるかを啓発するために造った。
カトリーヌ・ケインさん作、心臓をとられたルイ17世の胸像。(Photo: Phillipe Delorme)
作品は、痛みと病で変わり果てたルイ17世の"心の恐怖"を表現している。心臓が抜き取られたこの彫刻は、すべてを奪い去られた純粋な子供の苦痛を表しているのだ。世界には今でも児童虐待、戦場や自爆テロに送られる子供たち、性的虐待を受けた子供たちなどが存在する。まず子供の権利について向き合わないと、世界の平和構築はできない」
[執筆者]
西川彩奈
フランス在住ジャーナリスト。1988年、大阪生まれ。2014年よりフランスを拠点に、欧州社会のレポートやインタビュー記事の執筆活動に携わる。過去には、アラブ首長国連邦とイタリアに在住した経験があり、中東、欧州の各地を旅して現地社会への知見を深めることが趣味。女性のキャリアなどについて、女性誌『コスモポリタン』などに寄稿。パリ政治学院の生徒が運営する難民支援グループに所属し、ヨーロッパの難民問題に関する取材プロジェクトなども行う。日仏プレス協会(Association de Presse France-Japon)のメンバー。
Ayana.nishikawa@gmail.com
※4月16日号(4月9日発売)は「世界が見た『令和』」特集。新たな日本の針路を、世界はこう予測する。令和ニッポンに寄せられる期待と不安は――。寄稿:キャロル・グラック(コロンビア大学教授)、パックン(芸人)、ミンシン・ペイ(在米中国人学者)、ピーター・タスカ(評論家)、グレン・カール(元CIA工作員)。