海外移住「キャリアアップ」のリアル──日本人女性の挑戦2.0
渡仏のきっかけは、夫のフランス就職だった。
妊婦生活と並行し、ロースクールで修士号を取得
パリ第二大学に入学後、フランス語ですべて資料を読んで勉強し、はじめは子どもを1日中ベビーシッターに預けて勉強をした。結果、少なくない数の学生が落第する中、モンルワはHonor(成績優秀者の称号)を取得して卒業することができた。
「当時、自分が納得できる結果を出せるかによって、その後の自分の人生に対する見方が変わると思っていました」。その後、知的財産法を専門的に学ぶため、フランスの名門、パリ政治学院のロースクールに進学をすることに決めた。
しかし、在学中に妊娠、大きなお腹を抱えて授業にでることになる。運良く、出産予定が夏休みだったため、休学はせずにすんだ。とはいえ、切迫早産の傾向があるモンルワに、ドクターストップがかかることもあった。無事に出産し、産後は通学をしながらトイレで搾乳をしたこともあったという。
こうして計3年間、子育てと両立しながらも集中的に仏語で法律を勉強した経験は、その後の仕事で活かされる力のベースとなった。
暗闇の6年間で発掘した「本当の自分」
妊娠・出産・子育てをしながらフランスのハードな大学院生活を送るというと大変そうだが、モンルワにとって一番の辛さは「自分自身と向き合う」ことだった。
「パリにいた6年間は毎日憂鬱な気分だったんです。『再就職はできるだろうか』、『国際機関で働けるだろうか』と、挑戦の度に自分に必要以上のプレッシャーをかけ、些細な出来事から落ち込むことも頻繁でした。そのときは人に会うという気も起こらず...。放っておくとどんどん暗くなってしまうので、自分と徹底的に向かい合いました。自分は何者なのか、何をしたら喜ぶのか――」
さらに、モンルワは続ける。「その頃は、こんな辛い暗闇の時期に『感謝できるときなんか一生来ない』と思っていたんです。それが自分自身でも驚くことに、『あの頃は精神的な成長をする時期。そのための試練だった』と思うようになりました。この暗闇の時期がなければ、いまだに『自分のことが分からない人間』になっていたと思います。今は自分の軸というか、大切にしたいことがよく分かっているから、困難にも以前よりどっしり構えていられるし、小さな日常の幸せに感動を覚え、人生をもっと楽しめるようになりました」
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その後、モンルワは2012年にパリの法律事務所で再就職、そこでフランス人弁護士と同様の仕事をこなす。さらに2015年にはジュネーブに移り、知的所有権に関する国連の専門機関に転職した。
現在は世界各国出身の同僚とともに、世界中のクリエイターや芸術家のために、また想像力溢れる豊かな社会のために、バランスの取れた国際著作権制度づくりに携わる日々だ。「音楽やアートが大好きなので、とてもやりがいがあります」