海外移住「キャリアアップ」のリアル──日本人女性の挑戦2.0
ジュネーブの国連専門機関で勤務するモンルワ幸希氏(左)と、シンガポールを拠点にフィンテック業界で働く米岡和希氏(右)
<フランス、スイスで子育てをしながら国際機関へ。シンガポールで起業を経て、フィンテック業界で活躍――。苦労をバネにして飛躍した、日本人女性2人の「強さ」に迫る>
「海外に移住したい」、「キャリアアップをしたい」。そんな2つの目標を達成することはハードルが高すぎる、と思う人も多いかもしれない。けれど、両方を実現するために海外に飛び込み、当初の目標以上の地点に到達した日本人女性たちがいる。
フランス語ほぼゼロの状態から渡仏し、法律事務所を経て、国際機関に転職したモンルワ幸希さん。そして、MBA取得のためにシンガポールへ渡り、現在フィンテック業界で働く米岡和希さんだ。
2人の生き方には、「挑戦をしたい」という気持ちが刺激される。そんなエネルギッシュな先輩たちの声を届ける。
保育園不足の日本で家事・育児をしながら、独学でパリの名門大学院合格
国連の専門組織で英語・仏語を操ってバリバリと働く2児の母――。こう耳にすると、「完璧な女性」というイメージしか浮かばない。しかし、モンルワ幸希がそこに至るまでは、「自信を持てない自分」との長い闘いだったという――。
モンルワ幸希氏。私生活では2児の母。
日本の中央省庁関連機関で働いていたモンルワが夫と息子とともに、渡仏をすることになったのは27歳。それまでの約1年間、新米ママとして生後間もない息子の世話をしながら、フランスの大学院進学を志した。当時から国際機関に興味があり、仏語と修士号が役に立つと聞いたためだ。だが、フランス語は当初ほぼゼロからのスタート、応募要項を満たすのは至難の業だ。当時、保育所不足だったため語学学校には通えず、通信教育をとって独学で勉強。「片手で授乳をしながら、参考書をめくる日々が続きました」
その結果、モンルワはパリ最古の法学部を有するパリ第二大学の修士プログラムに見事合格を果たす。しかし、合格の裏には、自分への強いプレッシャーがあった。
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「若くして結婚・出産をし、渡仏する。そういった決断をした人が周囲にいなかった。同年代の友人はバリバリ頑張って働いているのに、私はキャリアを中断してしまって。時間を少しでも無駄にできないと、焦っていました」
また、モンルワが渡仏を決めた背景には他の理由もあった。日本にいた頃は、大学名など肩書に守られている部分があった。しかしフランスでは、その「飾り」は通用せず、「素」の自分で勝負しないといけない。「当時の私は、自分に自信がまったく持てなくて。だから、そんな自分を変えるためにも、外国でゼロからどこまでできるか試してみたかった」