海外移住「キャリアアップ」のリアル──日本人女性の挑戦2.0
パリとジュネーブで学んだ、マルチな「母」のありかた
国連専門機関で働く、アメリカ、インド、ブラジル、スイス、ガーナ、マラウイ出身の同僚たち。
モンルワは、海外生活の中で子育てが「楽」になった理由を、「多様なロールモデル」に出会ったことだという。
例えば、出産を機に新たな視野を得たからこそ、知音ソフト開発など新しいビジネスを立ち上げた母。住み込みのベビーシッターを頼み、出張で世界中を飛び回る母親などだ。
「私も辛い経験を経て実感したことが、母親が幸せだと、子どもも幸せになる。逆に、子供のために自分を犠牲にすると、どこかで歪(ひずみ)が出てくるということ。自分が納得いくような人生を歩むことは、決して子どもを蔑ろにすることではない。これは、パリやジュネーブで出会った母たちが教えてくれたことです」
最後に、異国の地でモンルワがキャリアアップと子育てを両立できた秘訣を聞いてみた。
「振り返ると大切だったのが、『自分の人生は自分で決め、責任をとる』という主体性だったと思います。自分以外の誰かのせいにすると、何かあったときに踏ん張れないので。同時に、日本でも外国でも、子育てをしながら働くことは簡単ではない。自分一人で抱え込まず、困ったときは人に素直に頼る柔軟さも大切です。あとは、思い切ってやってみると意外と出来てしまうものです」
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MBA取得のためにシンガポールへ
起業をして失敗した際、再スタートを切るのは簡単ではない。そんな困難を海外で乗り越えたのが、米岡和希だ。始終柔らかい物腰で取材に応じてくれた彼女だが、確信をもった力強い声で、「失敗しても、絶対に何とかなります」と、シンガポールでの経験を語ってくれた。
シンガポールを拠点に、フィンテックスタートアップ「Moneythor」で日本進出の責任者として働く米岡和希。
大学卒業後、米岡は不動産投資会社を経て、KPMGのコンサル部門で起業再生に携わっていた。仕事に大きなやりがいを感じていたが、同時に、海外で働く経験も積みたいと考えていた。
そんななかMBA取得のため、海外に行く計画を始める。準備期間は1年間。英ファイナンシャルタイムズ紙の「Global MBA Ranking」で2016年、2017年に1位に選ばれたビジネススクールの名門「INSEAD」に見事合格、シンガポールに夫とともに移住した。
日本でのキャリアを中断することに不安はなかったのか。米岡は、目に輝きを宿してこう答えた。
「人生で与えられた時間は限られている。私はその時々で、絶対に後悔はしたくないんです。心の底からしたいと思うことは、今あるものを投げ出してでも実行する勇気があるのかもしれません」
INSEADといえば、数多くの大企業のCEOを輩出したエリート校。同級生には銀行での勤務経験のあるフランス人、NATOに勤務していたベルギー人、エンジニアのインド人など、優秀な同級生の議論のペースが速く、苦労したこともあるという。しかし、授業が進むなか、まったく異なる経歴や価値観の人たちと協調性が生まれていく過程を、肌で学ぶことができたのは良い経験となった。
MBA取得後、米岡は金融系で職を探していたが、納得のいくポジションが見つからない。そこで成功している起業家と話しているうちに、「彼らができるなら、私もできるのでは?」と、本気で起業の道を考えるようになった。
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