無視されたテニス女王の差別の苦悩 70年代スターアスリートが直面した同性愛に対する「時代の限界」
Tragic Love Affair
秘密の情事 キング(エマ・ストーン、右) とバーネットの関係がロマンチックに描かれる BATTLE OF THE SEXES 『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』 監督/ジョナサン・デイトン、バレリー・ファリス 主演/エマ・ストーン スティーブ・カレル 日本公開は7月6日 (c)2018 TWENTIETH CENTURY FOX
<女子テニス界の伝説ビリー・ジーン・キング。同性との恋愛を描きつつ、差別がもたらす葛藤は無視された>
1972年のこと。女子テニス界を代表するスター選手だったビリー・ジーン・キングは同性のマリリン・バーネットと深い仲になった。ただし時代が時代ゆえ2人の関係は秘められたもので、キングにとっては選手生命(と夫との結婚生活)を懸けた禁断の恋でもあった。
映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』はこの2人の関係を題材にしているが、あくまでもフィクション。エマ・ストーンが演じるキングは素敵に愛すべき女性で、バーネット(アンドレア・ライズボロー)とのラブストーリーも美しい。でも実際の2人の関係は、ずっと苦渋に満ちたものだった。
2人はその後に決定的な破局を迎えるのだが、当時の同性カップルに法的な保護はなかった。絶望したバーネットは81年に財産分与を求める訴訟を起こすものの、もとより勝ち目はない。キングが女子テニス界の偉大な功労者であることは紛れもない事実だが、同性パートナーを守ろうとしなかったのもまた事実。そこに彼女の、そして時代の限界があった。
あの頃に比べれば、同性愛のアスリートに対する世間の目はだいぶ寛容になった。しかし法的な保護が十分とは言えない。アメリカで同性婚が認められたのは3年前のことだし、昨年までは多くの州で、雇用者は同性愛者であることだけを理由に従業員を解雇できた。
今でこそフェミニストとレズビアンの象徴的存在とされているキングだが、彼女は自ら同性愛を公表したのではなかった。キングに捨てられたバーネットがばらしたのだ。
周辺からの圧力もあってキングはバーネットとの愛を、そして自分のセクシュアリティーを素直に認められなかった。それは孤独ゆえに生じた気の迷いであり、同性を本当に愛したわけではないと、訴訟を起こされた当時のキングは言っていた。本心を語ったのは、何十年もたってからだ。
不十分な差別への視点
同性に引かれる自分に気付いたのは1968年──キングがニューヨーク・タイムズ紙の取材でそう語ったのは06年のこと。「あの年は激動の年で、私も激しく揺れていた」と、彼女は言う。「すごく恥ずかしい気がして」、夫にも家族にも言えず、でもバーネットとの関係にのめり込んでしまったとも。
だから美容師のバーネットを個人アシスタントとして雇い、ツアーに同行させ、月額600ドルの手当を払う形にした。その関係は79年に終わったが、81年にバーネットが訴訟を起こすまで全ては2人だけの秘密だった。バーネットは同年に自殺を試みており、下半身麻痺の体になった。それでもキングは今日に至るまで、バーネットの一連の行為について率直に語っていない。