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米政治ペイリン、銃「反撃ビデオ」で大失点
アリゾナ銃乱射事件の容疑者を焚きつけたとの批判に反論する演説は、政敵を利しただけだった
大ピンチ 逆境に強いペイリンだが、今回は有権者の心理を汲み取れずに墓穴を掘った VIMEO
アリゾナ州トゥーソンで1月8日に起きた銃乱射事件をめぐって、サラ・ペイリン前アラスカ州知事の責任説が取り沙汰されている。
ペイリンは昨年の中間選挙の際、医療保険改革法案に賛成した民主党下院議員の選挙区に銃の照準マークをつけた全米地図を自らのサイトに掲載。その中に、今回ターゲットとなったアリゾナ州選出のガブリエル・ギフォーズ下院議員も含まれていた。
だからといって狂った男の凶行の責任をペイリンに帰すのはあまりに不公平だという声もある。だが、政治に不公平はつきものだ。しかも、今回の騒動はペイリンにとって絶好のチャンスでもある。有権者は政治家を判断する材料の1つとして、窮地に追い込まれたときの対応や、逆境から立ち直る力を見ているのだから。
その点、ペイリンのパフォーマンスはお粗末だった。ペイリンは事件から4日後の1月12日、銃乱射事件と一連の非難報道についてフェースブックなどのソーシャルメディアを通じてビデオ映像で声明を出した。だがこの日、全米の注目は既にアリゾナで開かれた犠牲者の追悼式典に集まっていた。そこではバラク・オバマ大統領が、失われた命を悼み、事件現場で人々が見せた英雄的行為を称える演説をした。
だが今回のように悲惨で理解し難い事件の場合、被害者と遺族に月並みのお悔やみを述べるだけでは不十分。人々はそれ以上のものを求めている。政治家だけに答えを求めているわけではないが、政治家がこのような惨事について答えを提供しやすい立場にあるのも事実だ。
有権者の感情や不満、希望を汲み取ってそこに訴えかけるのは、対象が特定の有権者層に限られているとはいえまさにペイリンの得意技だった。だが、今回の対応は最悪だった。彼女の演説は人々の求めるものを何も提供できず、過剰な自己防衛に走り、非論理的で問題の本質からずれていた。
共和党内の反ペイリン派の追い風に
なかでも、銃乱射事件に絡んで強まっている自分や保守派への非難の声をペイリンが「血の中傷」と呼んだことについて、ネット上では論争が巻き起こっている。この言葉自体が、ユダヤ教徒が祭礼でキリスト教徒の血を使ったというデマに由来する反ユダヤ的な中傷表現だからだ。どうみても言葉の選択を誤っている。これでは、真意を伝えるどころか人々を混乱させ遠ざけるだろう。仮にコアな支持者だけに向けた煽動行為だったとしても、間が抜け過ぎている。
ロナルド・レーガン元大統領の言葉を引用し、銃乱射事件は誰かにそそのかされて起きるのではなく、容疑者一人の責任だと論じたのは効果的だった。「身の毛のよだつ犯罪行為は独立した出来事だ」と、ペイリンは語った。
その通りだ。だがその後、ペイリンは「ジャーナリストや評論家は『血の中傷』をやめるべきだ。自分たちが非難しているはずの憎悪と暴力を煽るだけだ」と続けた。これはまずい。犯罪者は言葉で生み出されるのではないと主張した直後に、マスコミが言葉で憎悪と暴力を煽っていると訴えるのは矛盾している。
ペイリンがこんなへまをしている間に、ライバル政治家は着々と得点を稼いでいる。2012年大統領選レースで共和党内の有力候補と目されているミシシッピー州のハーレイ・バーバー知事は、公民権運動を軽視するような失言を取り返すために公民権運動の記念博物館の建設を提案。こんな見え見えのジェスチャーで問題が解決するわけはないが、少なくとも逆境を巻き返す一歩にはなった。
ペイリンのビデオ演説はそんなささやかな一歩にさえ程遠く、むしろ共和党内の反ペイリン派に格好の批判材料を与えてしまった。もちろん彼らは、銃乱射事件をペイリンのせいにするような批判の仕方はしない(自分の首を絞めるから)。だが、プレッシャーにさらされた時の判断力や問題解決能力がペイリンには足りないと主張することはできる。大統領やその候補者には絶対に不可欠な資質だ。