「主婦」を自称したがるペイリンの魂胆
家庭を守っていたので汚れた世の中のことなんか知らないわ、という意図のようだが、無理があり過ぎ!
どこが主婦? 息子を抱き遊説にサイン会に全米を飛び回るペイリン(09年11月) Rebecca Cook-Reuters
サラ・ペイリン前アラスカ州知事は先日、彼女を批判したウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙に対し、フェースブックでこう反撃した。「確かに私は今、単なる前州知事でアラスカの主婦だ。でも、私のような平凡な国民だって新聞くらい読める!」。WSJは、ペリリンが「食品価格はこの1年で著しく上がっている」と言うが、それは間違いだと指摘していた(この論争については、おそらくWSJが正しいが、それはとりあえず置いておこう)。
ペイリンの現在の立場を正しく表現する言葉はたくさんある。テレビのリアリティー番組の人気者、草の根の保守派運動ティーパーティーの実質的なリーダー、扇動家。しかし、主婦――家庭を守り子供の面倒を見ることを第一の仕事にしている女性――という肩書きは、ペイリンにはどうにも当てはまらない。
だいたいこの2010年に、「主婦(housewife)」という言葉をどう定義できるというのだろう。もはやこの言葉の意味は曖昧で、ぴったり当てはまる人などほとんどいない。ドラマの『デスパレートな妻たち(Desperate Housewives)』やリアリティー番組『リアルな主婦たち(Real Housewives)』に出てくる女性たちの中には、仕事をしている人もいればシングルの人もいる。子供がいる場合はベビーシッターを数人雇っている。
この言葉が意味を持たなくなっているのは、テレビの世界だけではない。キリスト教福音主義派の作家プリシーラ・シャイラーは今週、「神の主婦たち」と題した記事の中で、一家の長は自分の夫で自分は夫に従っているだけだと主張した。だが実際には、彼女がキャリアを追求する一方で、料理や子供の世話しているのは彼女の夫。シャイラーは何をもって主婦と呼んでいるのだろう。そもそも、主婦なんて存在するのか?
家計簿と国家予算が同じだって?
ペイリンとその取り巻きたちは、女性が外で働くことに反対しているわけでもないのに、「主婦」という言葉を使いたがる。家族を大事にしているとアピールし、保守的な女性像に似つかわしくない自分たちの野心を隠すためだ。
さらに、60年代に「主婦」という語を批判したフェミニストらに対する攻撃でもある、とシモンズ大学のスザンヌ・レオナルド助教(フェミニズム論)は指摘する。確かに、家庭の外で大きな成功を収めた女性が自分を「主婦」と呼んでいるのを聞けば、違和感を覚えるのは当然だ。しかし、そんなことは保守的な女性が昔からやってきたこと。保守派の活動家で40年前からこの戦術を実践してきたフィリス・シュラフライ(86)を見ればよく分かる。