いじめの加害者をどう罰するべきか
いじめた側も人生が一変
プリンスの死はサウスハドリーの町を恥辱と非難の渦に巻き込んだ。校長は内部調査を開始したが、その時点でいじめの加害者に出席停止などの処分は科さなかった。
事件に同情した住民がボストン・グローブ紙に話を持ち込み、同紙は「意地悪な少女たち」が「開き直り、懲りもせずに」登校することを許した学校側を非難する記事を掲載した。「自殺に追い込んだ女子生徒を退学させろ」と訴えるフェースブックのグループは、瞬く間に多くの支持者を獲得した。
学校側はメディアに対し、いじめを止められなかった経緯を説明し、自殺の前週まで問題を把握していなかったと弁解した。「今回のことは複雑な事情が絡んだ悲劇」だと、サウスハドリー高校のダン・スミス校長は本誌に語った。
そこへ登場したのが地方検事のエリザベス・シーベル。最近まで全米地方検事協会のウェブサイトの人物紹介欄に、子供の頃に兄弟をいじめた相手をたたきのめしたという武勇伝を載せていた人物だ。
3月、シーベルは重犯罪で訴追する生徒6人の名前を公表。彼らの「執拗な行動」は「(プリンスに)屈辱を与え、登校を不可能にすることを意図していた」と主張した。
マサチューセッツ州法にはいじめを犯罪とする明文規定がないため、シーベルは2人の生徒をストーカー行為、2人を悪質な嫌がらせ行為、5人を肉体的損傷につながる人権侵害で訴追した。人権侵害は最長10年の禁固刑となる。
また、プリンスと性行為をしたとされる男子生徒2人については、最長禁固3年が科される未成年強姦罪で訴追した。被告6人は全員無罪を主張している。
法(とメディア)は世界を白か黒かで判断する傾向にあるが、このケースには当てはまらない。裁判資料によると、プリンスは鬱状態に悩み、自傷行為を繰り返し、精神安定剤を処方されていた。自殺を試みたことも1度ある。
一方、いじめで訴追された生徒たちは学業優秀だったと、サウスハドリー市のガス・セイヤー教育長は言う。「学校が手を焼くような問題児ではない。ごく普通の子供たちだ。いい家庭で育ち、大学進学を目指していた。私たちはプリンスを失っただけでなく、あの子たちも失おうとしている」
加害者の生徒は全員3月以降、法廷で決着がつくまで出席停止になっている。裁判は来年初めに始まる見込みだ。
プリンスの父親は、生徒たちが罪を認めて謝罪すれば、情状酌量を求めると語った。だがたとえ無罪になったとしても、彼らの人生が大きく変わってしまったことは確かだ。昨年、彼らは1人も卒業できなかった。マルビーヒルはアメフトの奨学金を失った。
シャロン・ベラスケスの母親エンジェルス・シャノンによれば、娘は高校卒業資格検定試験(GED)の勉強をしているが、学校に戻れないことで打ちひしがれている。サウスハドリーに公立高校は1校しかなく、マサチューセッツ州の公立校は重犯罪で訴追された生徒の入学を認めない。母親のシャノン自身も学生であるため、私立校に通わせる経済的余裕もない。
法の裁きは最悪の解決策
一方でシャロンは、プリンスの死という悲劇に苦しみ続けている。彼女は恐怖のあまり1人で家から出られない。家族の元には死の脅迫やいたずら電話があり、家に石が投げられたり、「お前の娘こそ強姦され、殺されるべきだ」といった内容の匿名の手紙が何通も玄関のドアに挟まれていたりする。
「この苦しみは言葉では表現できない」と、弁護士同席で本誌の取材に応じた母親のシャノンは言った。「顔にカメラを向けられ、手紙を送り付けられる。帰宅すると人々が駐車場で待ち構えている」
皮肉なのは、この状況がプリンスの経験した苦しみと似ていることだ。彼女をいじめた子供たちは確かにいじめの加害者だが、世間の大人たちはどうなのか。マサチューセッツ州のいじめ防止法では、いじめとは学校で「心に傷を与え」あるいは「悪意に満ちた環境をつくり出す」行為を繰り返すことと定義されている。
この定義を現実の社会に適用すれば、加害者を非難する大人たちもいじめの加害者ではないのか。いじめ防止法を拡大解釈していくと、最終的には職場や家庭で繰り広げられる日常的な行動が犯罪とされる可能性がある。
「この種の問題の大半は防げない。子供には『人間はひどいことを言うものだ』と教えるしかないとも言える」と、ニューヨークの元検事サム・ゴールドバーグは言う。
いじめ問題の専門家と法学者の大半は、訴追はおそらく最悪の解決策だと口をそろえる。長期にわたる調査によれば、法律は周囲の状況に感情的に反応する子供たちの行動を抑制できない。騒々しい若者の集団に「犯罪者」のレッテルを貼ることは、本人たちの社会復帰を困難にするだけだ。
橋から投身自殺したクレメンティのケースのように、犯罪として扱うべき悪質な事例もある。だが多くの子供は「間違いを犯しただけ」だと、フロリダ・アトランティック大学の犯罪学者サミール・ヒンドゥジャは言う。「大抵の場合、子供たちはとても後悔している。彼らにはもう一度チャンスを与えるべきだと思う」
[2010年10月20日号掲載]