マイケル報道の耐えがたい罪
■死を境に手のひらを返したように好意的な報道ばかりになったことにも、冷めた視点からはひとこと言わずにいられない。もし前から今のような温かい報道がなされていたら、マイケルは死なないで済んだかもしれない。
■メディアが「悲劇的人生」だの「トラブル続きの人生」だのと奥歯に物が挟まったような言い方をするのも引っ掛かる。「子供に性的虐待を加えていた疑いがある男」と言いたいのであれば、そうはっきり言えばいいではないか。
■マイケルの父ジョー・ジャクソンが遺族の代表のように振る舞う姿を見れば、誰だって冷めた目で見たくなる。ジョーがマイケルを肉体的・精神的に虐待したという疑惑はいまだ払拭されていない。
■遺産はどうなる? 子供たちの運命は? マイケルの本当の資産状態は? 死亡時に一緒にいた主治医は怪しくない? こうした疑問にすぐに答えなど出ないのに、人々は同じ疑問を繰り返し問い掛け、時には根も葉もない未確認情報をまき散らす。「ニュース」という名目で垂れ流される大量のゴミ情報にいちいちまじめに付き合っていては切りがない。冷めた目で報道に接するのがいい。
■その上、荒唐無稽な陰謀説までささやかれている。自殺説に他殺説、本当は生きているという説も登場している。マイケルは自分がエルビス・プレスリーみたいな死に方をするのではないかと恐れていたという説、ビートルズの版権を持っていたために殺されたという説、借金をしていたので殺されたという説も飛び交っている。この調子でいけば、ゾンビ関与説が浮上するのも時間の問題だろう。
こうしたばかげた話は冷めた目で見ておくに限る。なぜ、長年の薬物過剰摂取の蓄積が死につながった可能性を素直に認められないのだろう。セレブを押しつぶす強烈なプレッシャーと薬物との関係や、医師たちが平気で薬物を処方することの問題点を議論すべきではないのか。そうすれば、薬物の乱用で命を落とす人を減らせるかもしれない。
■最後に、どうしても冷めた態度を取らずにいられない極め付きのばかげたニュースを1つ。マイケルの元ペットだったチンパンジーのバブルスは現在フロリダ州の施設で暮らしている。その施設の責任者がピープル誌の取材にこんなコメントをしている。「(バブルスには)まだ何も話していません。仲間とじゃれ合い、食事もたっぷり取り、雨が降れば屋内に逃げ込む。いつもどおりの日々を送っています」
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マイケルの遺産や子供たちの将来、死因をめぐり、メディアの狂騒曲は続くだろう。考えただけで吐き気がする。私のせめてもの願いは、マイケルが永遠の眠りに就く場所が早く決まることだ。しかし、それも許されないかもしれない。マイケルの故郷インディアナ州ゲーリーの市長は、遺体を市内に埋葬してほしいと言っている。
社会が常識や良識を失っているときは、冷めた視点で物事を見ないと自分を守れない。遺族や友人や関係者が争う間、埋葬場所も決まらずに遺体が冷凍室に置かれ続けるようなことになれば、ニュースを冷めた目で見ない限り、怒りと悲しみで私たちの頭が破裂しかねない。
[2009年7月15日号掲載]