運命を変えたグアンタナモの夜
イスラムを敵視する雰囲気が
エラチディはホールドブルックスが改宗した晩のことをよく覚えていない。グアンタナモでの数年間に、宗教上のさまざまな話題を看守たちと語り合ったという。「サンタクロースの話、イブラヒム(アブラハム)が息子イツハク(イサク)を犠牲に捧げた話、そしてイエスの話も」
ホールドブルックスは、改宗したいとエラチディに告げると、改宗は大仕事でグアンタナモでは厄介なことになると警告されたのを覚えている。「彼は僕が何をしようとしているのか自覚させたがった」。だから、改宗のことはルームメイトの2人にしか話さなかった。
それでも、他の看守は彼の変化に気づいた。彼らは収容者がホールドブルックスをムスタファと呼ぶのを聞き、ホールドブルックスが堂々とアラビア語を学んでいるのを見た(フェニックスの自宅には革表紙のイスラム教の聖典全6巻や初心者向けのイスラム教入門書などがずらりと並ぶ)。
ある晩、班長が来て裏庭に呼び出された。そこには看守仲間5人が待ち構えていた。「彼らは僕にわめき始めた。お前は裏切り者か、寝返ったのかって」。そのうち班長がこぶしを構え、殴り合いになった。
以後、ホールドブルックスは人付き合いを避け、周囲もそれ以上干渉しなかった。一方、同じころグアンタナモに勤務していた別のイスラム教徒は違う体験をしていた。03年の大半をグアンタナモの教戒師として過ごしたジェームズ・イーは、同年9月にスパイ容疑で逮捕された(その後、容疑は取り下げられた)。
イーがイスラム教徒になったのは、それより何年も前だった。グアンタナモ勤務のイスラム教徒(主に通訳)は悩むことが多かったと、イーは言う。「司令部がイスラムを悪く言う雰囲気を作り上げていた」(「イー教戒師の主張にはまったく同意できない」と、ゴードン報道官は反論する)。
ある日突然、名誉除隊に
歯車が狂い始めたのは、ミズーリ州のレナードウッド基地に転属されたころからだと、ホールドブルックスは言う。基地から数キロ以内で時間をつぶせるところは、ウォルマートか2軒のストリップクラブだけだった。「ストリップは好きじゃないから、ウォルマートをうろついていた」
その後、数カ月でホールドブルックスは軍を去ることになった。任期はまだ2年残っていた。名誉除隊の処分について軍からはなんの説明もなかったが、決定の背後にグアンタナモでのできごとが見え隠れしているようだった(軍はノーコメント)。
フェニックスに戻ったホールドブルックスは再び酒に溺れた。「煮えたぎる怒り」を抑えるためでもあった(元看守のニーリーもグアンタナモ時代はひどい抑うつ状態になり、02年の1カ月間の休暇中は1日60ドルが飲み代に消えたと本誌に語っている)。
ホールドブルックスは離婚し、さらに悪循環に陥った。最後には依存症で病院行きになった。発作を起こし、倒れて頭蓋骨をひどく骨折し、頭の中にチタン製プレートを埋め込むはめになった。
最近、ホールドブルックスとエラチディは再び連絡を取り合っている。釈放後も、エラチディはそれなりに苦労してきた。自由な暮らしになかなか慣れず、「足かせなしに歩いたり、夜に明かりを消して眠ったりできるよう努力している」。本誌に送られてきた十数通のメールの署名は、どれもグアンタナモでのIDになっていた。
ホールドブルックスは現在25歳。3カ月前に酒をやめ、モスクに礼拝に通っている。受験生カウンセラーとして働くフェニックス大学の近くだ。頭部の傷痕はもうほとんど「クフィ」(イスラム帽)に隠れている。
モスクのイマーム(イスラムの導師)が、ホールドブルックスはグアンタナモで改宗したと話すと、数十人の信徒が駆け寄って握手を求めた。「あそこはとくに残酷な兵士ばかりだと思っていた」と、エジプト人のイマーム、アムル・エルサムニは言う。「TJのような人間がいるとは、誰も思っていなかったんだ」