口先の謝罪では、人種問題は解決できない
人種に関する失言を恐れるメディアへの忠告
親愛なるジャーナリスト仲間の皆さま(とくにテレビ関係の方々)、よけいなお世話と思われるかもしれないが、言わせてほしい。もっと勇気を出して仕事をしませんか。
バラク・オバマと人種が話題になったときの皆さんのリポートは、実に見苦しい。確かに、この新大統領は黒人で、皆さんのほとんどは白人だ。とんでもない失言をして人種差別だと糾弾され、キャリアを台なしにしてしまうのではないか----そう気にしている様子がひしひしと伝わってくる。
アフリカ系アメリカ人記者である私には、その不安はよくわかる。でも正直言って、そんなリポーターを見ているほうもつらい。
たとえば、大統領就任式の日の舞踏会。ここでは歴代の大統領夫妻がダンスを披露してきた。「黒人はリズム感が抜群」という考えは人種的な固定観念にちがいないが、「オバマ夫妻のダンスはよかった」と言っても人種差別的ではない。
ネット上には、失言を待ち構える「ネットポリス」もどきがあふれている。だが、そんな連中のことは無視しておけばいい。
有力政治ブログの「ハフィントン・ポスト」は昨年12月、休暇でハワイの空港に降り立ったオバマ家の次女サーシャ(7)のサングラス姿の写真を載せ、「sassy」と見出しをつけて激しく非難された。sassyは「生意気な」「粋な」といった意味をもつ言葉で、よく黒人女性に対して使われる。
だが愛らしいサーシャをsassyと形容することは人種差別的でもなんでもない。実際、同ブログは共和党副大統領候補サラ・ペイリンの末娘パイパー(7)もsassyと呼んでいたし、そのときは誰も怒らなかったはずだ。