口先の謝罪では、人種問題は解決できない
サルはすべて黒人なのか
ニューヨーク・ポスト紙は2月18日、チンパンジーを射殺した警官が「次の景気対策法案を起草する奴を見つけなきゃいけないな」と話す風刺マンガを掲載。オバマを描写した人種差別的なマンガだと非難の嵐を巻き起こした。
この騒ぎにニューズウィークの親会社であるワシントン・ポストも不安を覚えたようだ。22日に掲載されたサルについてのユーモアあふれるコラム記事について、イラストなどが「人種のステレオタイプを思い起こさせるかもしれない」という謝罪文を同日の紙面に載せ、批判を事前に封じ込めた。
この対応はまったくのナンセンスだ。サルの絵がすべて人種差別的なわけではない。黒人はみんなフライドチキンが好きでバスケットボールが得意という偏見があるからといって、ニワトリとバスケットボールの絵も禁じるつもりだろうか。
私たちアフリカ系アメリカ人にとって、ひどくもどかしい状況だ。メディアは、理性的な人間なら誰も怒らないようなことについては謝罪するのに、本当に気分を害するようなことをしたときは口先ばかりの謝罪しかしない。
オバマ人気の今こそ好機
そして、アフリカ系アメリカ人が真に求める議論はなされない。たとえば05年にハリケーン・カトリーナが米南部を襲ったとき、被災地の黒人は食料を「略奪して」いて、白人は「探し回って」いると報じられたが、こうした偏向報道はメディアで働く人間の多様性が増せば防げるのだろうか。
「私たちはこれまで、実に多くの点で本質的に臆病者の国であったし、今もそうだ......平均的なアメリカ人は、人種について十分に話し合っていない」。エリック・ホルダー司法長官の最近の発言だ。
彼は正しい。アメリカ人はどんな場面なら「サル」と言っても大丈夫かは何時間もかけて議論するのに、差別是正措置(アファーマティブ・アクション)や、黒人の多い都心のスラム地区における犯罪率といった重要な問題になると、とたんに口をつぐんでしまう。
オバマの支持率が60%近い現状をみると、そろそろ少しばかりのユーモアと若干の常識をもって人種問題に対応していいのではないかと思う。人気トーク番組のホスト、ジョン・スチュワートは選挙中、「大統領になったら白人を奴隷にするつもりか?」とオバマに質問したが、お払い箱にならなかった。誰が見てもジョークだと明らかだったからだ。
重要なのはどういった文脈で発言をするか。私自身、職場で携帯情報端末のブラックベリーを酷使している同僚に「黒人差別だ」とジョークを飛ばすけれど、誰も気分を害したりしない。
いや、よく考えると、よくは思わない同僚もいたのかもしれない。今度からブラックベリーのジョークは控えなくては。
[2009年3月25日号掲載]