オバマ政権を支える「帰国組」の底力
また米国務省の推計によれば、在外アメリカ人は500万人以上。これから大人になる世代にとっては世界が就職や投資、娯楽、教育の舞台になるだろう。
NASA長官候補のグレーションは1歳半だった52年に、宣教師だった両親とアフリカへ渡った。一家はニューヨークから蒸気船でケニアのモンバサ港まで行き、そこから車でコンゴに入った。
最終的にコンゴから引き揚げるまで、一家は政変や内戦で3度にわたり国外へ避難した。3度目の64年には全財産を失ってケニアに逃れ、67年にアメリカに帰国した。
「あるとき突然、反政府軍が来るから逃げろという事態になる」とグレーションは語る。「生きていること自体が贈り物であり、自由や命など当然と思っていたものがとても貴重で、命に代えてでも守る価値があることに気づく」
グレーションがオバマに出会ったのは、米欧州軍司令部(EUCOM)の戦略・計画・政策部長として上院議員のオバマに外交政策を説明したときだ。06年にはオバマのアフリカ訪問に同行した。
グレーションは昨年共和党を離党し、ニュージャージー州の予備選でオバマに一票を投じた。環境や貿易、エネルギー、人権など「ボーダーレス」な問題を重視するオバマに引かれたという。
「私のようにアフリカ人に囲まれて育つと、彼らを個人として見るようになる」と、グレーションは語る。「私にとってはアフリカの親しい仲間だ。だからダルフール紛争やコンゴ東部の混乱も、国際問題というだけでなく、そこの生身の人々のことを考えてしまう」
外国に住んでいると、現地の反米感情に直接触れる場合もある。第二次大戦後にパリ郊外の現地校に通ったジョーンズは、「戦後のフランスには米軍基地がたくさんあり、アメリカの影響力が大きかったため、反米感情が非常に強かった」と振り返る。
少年時代のジョーンズは、サッカーではなく野球を愛するアメリカ的生活に憧れた。だがアメリカの公民権運動のニュースを見て衝撃を受けたという。大規模デモや白人至上主義の秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)の起こした残忍な事件がフランスのテレビに映し出された。ジョーンズはアメリカ人であることに誇りを感じていたが、一方でテレビ画面で見るアメリカにショックを受け、混乱したという。
ある朝ジョーンズ家の黒いシボレーに、白いペンキで「アメリカに帰れ」と落書きがされていた。周囲との緊張がけんかに発展したこともある。「国籍がけんかの原因になることが最も多かった」と、ジョーンズは言う。
真意を肌で感じ取る力を
しかしジョーンズは、しだいにフランスを好きになっていった。彼が通った学校では、クラスメイトにドイツやスペインなどNATO加盟国出身の子供もいた。その経験は後にEUCOMの司令官になったときに役に立った。「微妙なニュアンスを聞き分け、相手の言葉の真意をつかむ力を身につけた」とジョーンズは言う。「国際舞台でうまくやるには、一つの問題をさまざまな角度から見られるようにならなければならない」
ジョーンズは若者に対し、世界に飛び出して見聞を広めるよう勧めている。そのチャンスをみすみす逃す者は、「狭くなるこの世界で成功するための重要な資質を取り逃すことになる」と彼は言う。「そして一国の指導者になる人材の必須条件でもあると思う」
その意見にはオバマも大きくうなずくにちがいない。
[2009年1月28日号掲載]