「アジア人」だから学校の代表から外され...中国人女性がアメリカで味わった差別と、人生を変えた「発想」
Where I Belong
学校内で優勝したのに大会の代表に選ばれず
私は厳格な中国的価値観の中で育った。親はスパルタとは言わないまでも、優秀な成績を期待するタイプ。まず必要だったのは英語学習だ。多忙な母は辞書の単語やスペルを録音してくれて、私はそれを夜寝る時にも聞いた。
幼稚園に再入園してから3年後、小学校のスペリングビー(つづりのコンテスト)で3年生ながら優勝した。でも、学校が地区大会の代表に選んだのは準優勝のグレッグだった。翌年も同じことが起こったが、私も両親も異議を唱えなかった。移民である私たちが学校に抗議するなんてあり得ない。私たちは「よそ者」だったのだから。
あれは差別だったのだろうか? そうだと思う。だとしても、中国人の女の子が学校を代表して英語の大会に出るのは変に思われただろうし、私にとっては優勝しただけでも十分なご褒美だった。ようやく私が学校を代表して地区大会に出場することを許されたのは、5年生で3年連続の優勝を果たした時だった。
地区大会では優勝できなかったけれど、周囲になじもうとする努力はその後も続いた。外見を変えてみたり、一時期は中国語を話せないふりまでしたりした。それでも疎外感は消えず、どうしても社会の一員になりたいと強く願った。