「盗んだバイクで走り出すって......あり得ない」 Z世代に30年昔の尾崎豊の声は届かないのか?
尾崎豊にピンとこないZ世代
尾崎豊というシンガーソングライターがいました。
楽曲は大人や社会へのいらだちや、支配に対する抵抗をテーマにしたものが多かったのですが、その一方で「I LOVE YOU」など愛や夢にまっすぐに生きていたいというピュアな願いとその難しさを歌った楽曲も多く、ティーンエイジャーを中心に大きな共感を集めていました。
1970~80年代は、校内暴力や非行、暴走族といった、炎のモードの防衛の時代だったのではないかと思います。
「盗んだバイクで走り出す」(『15の夜』)
「行儀よくまじめなんてクソくらえと思った 夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」(『卒業』)
私もたまにカラオケで歌ったりするのですが、こういうまっすぐな反抗を歌った歌詞というのは、いまの若い世代にはピンときていないようで、「なんでそんなことするの?」という感覚です。
時代が変わり、行き場のないエネルギーを発散させるかのようなアクティブな非行・暴力・攻撃性は鳴りを潜めていき、いじめは陰湿化・オンライン化しています。直接的にぶつかり合うような摩擦が減っていくこで、対人関係はより過敏になり、傷つきを恐れるようになります。
闘ってもムダだし、怖いし、傷つきたくもないので、反抗せずに固まる・引きこもる傾向になっていく、というのは自然の流れのように思います。
出典=『心療内科医が教える本当の休み方』
人と人が信頼関係を築くのが難しくなっている
さらにここ数年、私たちは東日本大震災や原発事故、パンデミックなど、自分たちの力ではどうにもならない理不尽な出来事、無力感を覚える出来事を数多く経験しています。
もしかすると、昔は、大人や社会と正面からぶつかることで何かが変わっていくかもしれないという、ある意味での純粋さや希望があったのかもしれません。
そうした希望がなくなり、ぶつかってもムダである、という「あきらめ」の蔓延(まんえん)が、背側的な氷のモードの反応を増加させているのではないか。この「あきらめ」「無力感」というのもキーワードになっていると思います。
また、人と人が信頼関係を築くのが難しくなっていることも、氷のモードに入ってしまう人を増やしているといえるかもしれません。
みなさんの中に、上司、部下、同僚、あるいは家族、パートナー、友人などと親密なコミュニケーションをとり、相手に対して信頼感を持っている人は、どれほどいらっしゃるでしょうか。
「信じていた人に裏切られた」というのは、多かれ少なかれ誰でも一度は経験することだと思いますが、特に最近、親しいコミュニケーションをとっていたつもりが、「ハラスメント」扱いされてしまったという話や、仲間内のLINEのやり取りやDMの内容などがSNSでさらされたという話をよく見聞きするようになりました。