高知県民は静岡県民の2倍入院費を払っている 「不必要な医療」が日本の医療費を高騰させる
病床を埋めるために病人が作られている
病床が増えれば増えるだけ入院患者が生まれてしまうわけです。
本来なら病気になる確率に地域差はないと考えられますから、言い方は悪いかもしれませんが、「病床を埋めるために病人が作られている」と受け取ることもできます。
入院する・しない、の判断にはグレーゾーンが非常に多く存在します。
風邪から軽い肺炎になりかけの患者さんなら、毎日通院して点滴治療をしてもいいし、念のため入院してもいいでしょう。その判断は医師のさじ加減でもあります。
空きベッドを埋めなくては経営が維持できないという経済的事情があれば、さじ加減は自然に「入院」の方向へ偏っていくでしょう。
極端なことを言えば、医師は自分の病院傘下の高齢者施設の入所者を3カ月おきに検査入院させることだってできます。
施設で発熱した高齢者に「肺炎」という病名をつけて全例入院させることだってできてしまうのです。
「不必要な医療が多数存在する」から医療費が高くなる
病床が多い県ほど1人あたりの入院医療費が高い、という事実は、医療側の都合が色濃く反映されていると言っていいでしょう。
世界一の病床を持ち、さらに地域によっても病床数に2倍も3倍も差がある日本において、これは大きな問題です。
病床が多い県でおこなわれている入院医療がすべて命に関わる必須な医療、と考えるならば、病床が少ない県では必要な医療がまったく足りていないことになってしまいます。
この日本のシステムの裏には、「不必要な医療が多数存在する」と考えるほうが自然でしょう。
超高齢社会で医療費が高騰するのは仕方ない、と思う方が多いかもしれませんが、その裏にはこのような実態があるのです。
病床が空くのを喜べないという「医療の根本的な問題」
いずれにしても、限りある貴重な医療資源が、各都道府県でまちまちに、しかもかなりの格差をもって提供されている、という状況が、前述の「病床数」や「MRI」「胃ろう」などの現状からはっきりとわかります。
この現実は、医療費という問題もそうですが、国民が受ける「医療の公平性」という意味でも大きな問題があります。
この事実を知ったとき、私は「このような制度の下で医療をおこなっていても、徒労感しか生まれない」、そんな思いに囚われました。
もちろん現場の医師のほとんどは真面目にこつこつ、必死に目の前の患者さんを治療しています。
ところが医療制度を俯瞰(ふかん)すると、データが示すような事実があるわけです。真面目な医師も知らず知らずのうちにこのシステムに巻き込まれているのです。
本来病床が空いていることは、健康な人が多い証拠でもありますから、喜ぶべきことです。
しかし、病院はどうしても、患者を入院させる方向に進んでしまう。「病床が空いているのは罪だ」といった発想さえ生まれてしまいます。
そこには、医療にとってもっと本質的な問題も隠れています。
病床が多すぎるという問題は、たんに医療費の高騰を招くだけではないのです。
森田 洋之
医師/南日本ヘルスリサーチラボ代表
1971年、横浜生まれ。南日本ヘルスリサーチラボ代表。日本内科学会認定内科医、プライマリーケア指導医。一橋大学経済学部卒業後、宮崎医科大学医学部入学。宮崎県内で研修を終了し、2009年より北海道夕張市立診療所に勤務。同診療所所長を経て、鹿児島県で研究・執筆・診療を中心に活動。専門は在宅医療・地域医療・医療政策など。2020年、鹿児島県南九州市に、ひらやまのクリニックを開業。医療と介護の新たな連携スタイルを構築している。著書に『破綻からの奇蹟~いま夕張市民から学ぶこと~』(南日本ヘルスリサーチラボ)、『医療経済の嘘』(ポプラ新書)、『日本の医療の不都合な真実─コロナ禍で見えた「世界最高レベルの医療」の裏側』(幻冬舎新書)、『うらやましい孤独死─自分はどう死ぬ? 家族をどう看取る?』(フォレスト出版)などがある。