買い物帰りの妻を絶望に追いやる「最後の3m」 必要なのは「手伝い」でなく「ねぎらい」だった
在宅勤務が増えた今、「家にいる夫」に対して不満を抱いている妻は増加しているかも…… *写真はイメージです tonefotografia - iStockphoto
コロナ禍や定年退職後、急激に一緒にいる時間が増えた夫婦。「家にいる夫」に対して不満を抱いている妻も少なくありません。今後の共同生活を長く続けていくことに不安を感じている夫婦が、より快適で前向きに暮らすためのヒントとは?
「子どもを産んだ妻を夫が散々イラつかせる理由」「妻に過去の失態を蒸し返される夫が知らない心理」に続いて、男女の脳の使い方の違いを30年以上研究し、大人気「トリセツ」シリーズを手がけた黒川伊保子氏の著書『不機嫌のトリセツ』より、黒川氏自身の体験・経験を交えた夫婦論における女性の心理についてのパートを一部抜粋、再構成してお届けする。
「夫婦」という存在は、24時間一緒にいるのに向いていない
2019年、私たち夫婦は還暦を迎え、夫が定年退職をした。
ときに、結婚35周年を迎えようとしていた私たちである。ふと、こののち何年夫婦を続けていくのかしら、と指折り数えてみて、驚愕してしまった。
1959年生まれの私たちの世代は、3〜4人に1人が100歳以上生きるとメディアで言われていた。もしも万が一(三が一だけど)、私たちが100歳に到達するのなら、なんとこれから40年もあるのである。人生100年時代の到来は、結婚70年時代の到来でもあったのだ。
これまでよりはるかに長い年月を、私たちは夫婦として生きてゆく......!
永遠の愛を誓って涙を流し、わが子に出会い、泣いたり笑ったりしてともに歩いてきたこの道のりより、はるかに長いって、どんなに長いんだ。
しかも、夫が家にいる。
こ、これはかなりの覚悟と工夫が要るのでは? と、私は珍しく動揺してしまった。
うちだけの問題じゃない。残念ながら、この事態に、人類は慣れていない。少し前まで、男たちは定年退職した後、そう長くは生きてはいなかったのだもの。そもそも、とっさに正反対の感性を働かせ、別々の行動に出る男女は、24時間同じ空間で暮らす仕様にはできていない。
妻の笑顔が10年も消えている家、定年が怖い家、そして、コロナ禍で若い夫婦さえも一軒の家に閉じ込められている今、日本の夫婦シーンは、暗雲立ち込めている。
買い物帰りの妻の危険ゾーン
妻が、買い物袋を両手に提げて、玄関から入ってきた。そんなとき、夫は跳んで行って、荷物を持っているだろうか。
我が家ははるか以前に、これをルール化した。私が、買い物袋をカサカサいわせながら玄関のドアを開けると、リビングで寛いでいた夫や息子が、跳び起きて、走ってきてくれる。夫が荷物を受け取り、幼い息子が手をさすってくれた。私は、その度に、「この家族のために、何でもできる」と思ったものだった。
共働きで、買い物も料理も、洗濯も風呂掃除も、全部私がやっていたけど、この瞬間にすべてのわだかまりが氷解する。そんな感じだった。今では、誰もルールだなんて意識していないけど、やっぱり荷物の気配を察すれば、2階のリビングから夫や息子が降りてきてくれる。
ルール化した理由は、ここがいちばん腹が立つポイントだったからだ。「ただいま」と声をかけても、夫が寛いだままのうのうとしていると、うんと腹が立つ。アタッシュケースに買い物袋を二つも三つもぶら提げて帰宅した私自身は、1秒も寛ぐことなく台所に立つのに。
腹立たしさを抱えながら台所に立つと、料理をしながら、「私ばっかり」と情けない気持ちになってくる。ついでに「洗濯も、風呂掃除も、このあと、私がやるんだわ」と家事の不公平を数え上げる羽目になる。これは危険だと判断し、「私が帰宅したら、玄関まで迎えに来る」をルール化したのである。それだけはやってほしい、買い物も料理もしないでご飯を食べるのだから、とお願いして。
結果、このルールは、私たち夫婦の結束を固くした。だから、日本中の夫である方に、熱烈推奨したいのである。特に、「家にいる夫」には、買い物帰りの妻を迎えるシーンが多発する。ゆめゆめ、気を抜かないように。
「重くてつらいから手伝ってほしい」のではない
あるとき、テレビのニュース番組の情報コーナーで、「妻の買い物袋を台所まで運んでください」と言ったら、コメンテイターの50代男性に「それは偽善だよ」と言われた。「妻は、ここまでの500mを運んできてるんだ。最後の3mがなんだっていうんだ。そこだけ持ってやったって、意味がない」と。
私は、「いやいや、妻は、最後の3mで絶望する」と答えた。家族のため、重い買い物袋を持って歩くこと自体に、私たちは腹は立たない。「こんなに重いなんて、家族なんていなきゃいいのに。子どもなんか産まなきゃよかった」なんて、誰が思うだろう。