原作に忠実もなぜかキャストは皆「いい年」...ネトフリ版『リプリー』に欠けているものとは?
Tom Ripley, American Icon
全編をモノクロで撮るという選択の結果、この物語に秘められた官能性や南国イタリアの明るさが失われてしまったのも残念だ。
99年の映画『リプリー』は、デイモンをはじめとする俳優陣の魅力もあって、実に官能的だった。例えばイタリアのジャズクラブで、ステージに上がったディッキーにトムが加わる場面。たちまち2人の愛が燃え上がり、トムの表情には新しい自分を発見した恍惚感のようなものさえ浮かんでいた。
だが、今回の作品にはそれがない。ディッキーはサックスを吹くが、本気ではない。画家を自称しているが、絵は下手だ。ディッキーの恋人マージも似たようなもので、作家や写真家を目指しているらしいが、作中では才能の片鱗も示されない。
詐欺師がセレブの時代
主人公のトムも、天才詐欺師には見えない。彼の小切手詐欺の手口は、よく見れば誰でもすぐに気付きそうなものだ。人を殺しても捕まらないが、それは被害者が誰にも同情されない人間だったからにすぎない。この作品でまともな手腕を発揮しているのは、逃げるトムを追いつめるイタリアの刑事(マウリツィオ・ロンバルディ)だけだ。
そもそもアメリカ人の想像力において、詐欺師という存在は独特の地位を占めてきた。アメリカンドリームの底にある「その気になれば人は何にでもなれる」という信念を病的なまでに拡張したのが詐欺師であり、読者や観客はその巧みな詐術に感心する一方、「いや、自分はそう簡単にだまされるほどばかではない」と信じて生きていく。
しかし今回のトムには、私たちを感心させるほど巧みな詐術はない。計算ずくで巧妙に見えても、彼のやることはどこか衝動的で乱暴すぎる。同じネットフリックス配信の詐欺師もの(実話ドラマ『令嬢アンナの真実』やドキュメンタリーの『FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティー』など)に挟まれていなかったら、誰にも気付いてもらえなかっただろう。
かつての詐欺師は孤独な一匹狼で、ひたすら正体を隠し通すのが常だった。しかし今のアメリカでは稀代の詐欺師は超セレブであり、世の中の腐り切ったシステムを徹底的に利用して金持ちになるスキル故にあがめられている。ネットフリックス版『リプリー』は、そんな時代の申し子かもしれない。