親ロ派勢力に殺害された監督の遺作『マリウポリ 7日間の記録』──私たちに問う「未来」とは?
Surviving in Mariupol
破壊された自宅などから木切れを集めて湯を沸かす。なかにはつまずいた拍子に割れた階段の板までためらうことなく剝いで火にくべる男性も。銃撃が続くなか、男性2人が廃墟で入手した発電機を引きずっていく場面は、あまりに無防備で何時間にも感じられる。
そんなシーンが延々と続き、生き抜くための絶え間ない苦闘と戦時下の暮らしの砂をかむような退屈さが伝わってくる。息抜きになりそうなものは奪われるか、粉々に吹き飛ばされた。
鳥を飼っていたという男性は破壊された鳥小屋の瓦礫の下から色鮮やかな2羽のインコの亡きがらを引き出し、何百羽もいた鳩も一握りになってしまったと嘆く。
政治より絶望が色濃くにじむ作品だ。ある男性は歴代の腐敗した指導者を数え上げ、自分たちの運命は「能なしども」に握られていると語る。
未来への希望があるとすれば、それは政府や大勢の避難者を地下室から追い出した教会ではなく、苦境に耐え、互いを思いやる市民一人一人の姿だ。
彼らはスープの材料を鍋に放り入れ、食料庫に犬が入り込んでも追い払おうとはしない。彼らにできるのは生き抜くこと、それがかなわずとも死を悼まれるような生き方をすることなのだ。
MARIUPOLIS 2
『マリウポリ 7日間の記録』
監督╱マンタス・クベダラビチウス
助監督╱ハンナ・ビロブロワ
日本公開中