「YMO第4の男」松武秀樹が語る、坂本龍一『千のナイフ』制作秘話
A GROOVE MASTER PASSES AWAY
機械と人が生み出すグルーブで世界が揺れた。写真中央奥が松武(1980年10月、ロンドンでのYMOのライブ) FIN COSTELLOーREDFERNS/GETTY IMAGES
<YMO以前から親交のある松武秀樹が語った、伝説的バンドの音作りと若き坂本龍一のテクノロジーへの洞察>
電子音楽の大家、冨田勲に師事して音作りを学び、坂本龍一の初のソロアルバム『千のナイフ』(1978年)やイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の作品制作・ツアーに参加したシンセサイザープログラマー・作編曲家の松武秀樹。「第4のYMOメンバー」と呼ばれる松武に、坂本との交流について本誌・澤田知洋が聞いた。
――坂本さんとの初対面は?
本格的に一緒に仕事を始めたのは『千のナイフ』だけど、初めて会ったのはその2~3年前。坂本さんはスタジオミュージシャンとして歌手りりィさんのキーボーディストをやっていて、りりィさんのコンサートのオープニングの鐘の音をシンセサイザーで作ってくれという依頼が僕にあった。坂本さんはボソボソと話す長髪でサンダル履きの人、という印象だった。
坂本さんもシンセサイザーでの音作りの原理は知っていたから、ある程度は僕が作ってその後、坂本さんが微調整して自分が望む音を作っていった形。後のYMO時代の仕事もそのような流れだった。
――『千のナイフ』へ参加の経緯は?
当時ローランド製の自動演奏機MC-8を国内で持っていたのは僕と冨田先生ともう1人ぐらい。誰にでもご提供しますよ、というのが僕だったので『千のナイフ』にシンセサイザーのモーグIII-CとMC-8で参加してくれという話だったと思う。
坂本さんはゼロから作品を構成して最終形に持っていく能力がすごかった。音楽のジャンルを問わず情報を収集して対応できる人で、それはキャリアの最初からそうだった。
『千のナイフ』の録音ではどの曲も全体像はなかなか言葉で説明されず、メロディー抜きのコード進行や構成の説明だけがある状態。だからその場で坂本さんの頭の中にある設計図どおりに順番に録っていくという作り方になる。音符に書けないサウンドエフェクトのような音については言葉と絵での説明があった。坂本さんは絵がすごくうまいんです。
例えば「UFOが飛んで、上空で旋回してまた地上へ下りてくる」みたいな感じの音が鳴るといいねと言って、紙に描いてくれる。言葉で言うのは簡単だけど、坂本さんが頭の中で描く音符に書けないものを、2人でああでもないこうでもないと何時間もかけて作った記憶がある。言葉と音符と、情景の表現。それを音に表すのがうまい方だったなと振り返ってみて思う。
――YMOのレコーディングはどんな様子だったか。
3人ともある程度、譜面で全体像を作ってきていた。ただ譜面上にはメロディーはなくて、コードとリズムのパターンだけ。リズムもやってみて駄目だったらまたすぐ録り直すという試行錯誤を繰り返していった。