「おまえは俳優じゃない。ただの映画スターだ!」──「本当のニコラス・ケイジ」を探し求める、本人主演作とは?
Nicolas Cage in Search of Self
思い出すのはあの名作
91年に雑誌に発表したビート文学風の旅日記で、ケイジは「アシッド(LSD)をやってアコーディオンを弾く(俳優の)ボブ・デンバー」になりたいとつづった。『マッシブ・タレント』は、そうしたシュールな願望をめぐる最新の試みだ。
キャリア低迷中のニックは大金と引き換えに、自分の熱狂的ファンであるスペインの大富豪ハビ(ペドロ・パスカル)の誕生日パーティーに出席するためマヨルカ島を訪れる。複数のアイデンティティーという概念を追求するケイジにとって格好の設定だ。だが、その後の展開はずば抜けて独創的でも風変わりでもない。
本作が最も光るのは、友情コメディーとしての側面だ。当初はハビを嫌がっていたニックだが、ドイツ表現主義の無声映画の傑作『カリガリ博士』への愛情(ケイジ本人も同作のファンだ)とアシッド体験を分かち合い、2人はやがて親友になる。
ハビを国際犯罪組織の黒幕と疑うCIAの動きが絡むなか、超特権階級の変わり者2人が言い争い、絆を結ぶ姿を見るのは楽しい。ただし、物語の3分の2が過ぎたあたりで突然スリラーに転じるのは、こじつけ感が拭えない。
軽量級でも好感の持てる作品だが、個人的に最もがっかりしたのは「もう1人の自分」という着想の奥へ踏み込まなかったことだ。
ひねりの効いた自己言及性という点で、チャーリー・カウフマンが脚本を手がけた『アダプテーション』にかなう作品はない。ジャンルが拮抗する入れ子構造の同作と比べると、『マッシブ・タレント』は勇気に欠けるようだ。
カウフマン本人を思わせる双子の脚本家をケイジが1人2役で演じた『アダプテーション』の役どころには、より大きな目的があった。双子のチャーリーとドナルドの対立は、映画の2つの在り方の戦いを具現化していた。
すなわち大作映画と内省的な独立系作品、華やかな映画スターとプライバシー重視で『カリガリ博士』を愛する変わり者、そして、いくつもの顔を持つケイジとケイジの戦いだ。