最底辺「地下アイドル」が見た厳しい現実 松山あおいが下剋上を成功させた秘訣とは
初めて見た「地下アイドル」の現実
いまでこそ松山はファンを理解し、その言動や行動に注目していじり倒すエンターテイナーだが、スタートはアイドル文化をまったく知らないただアニソンが好きな女の子だった。
補足すると、「地下アイドル」とは「ライブハウスなどを中心にライブ活動をメインとしたインディーズのアイドル」のことを指す。松山あおいが最初に立った場所は、この地下アイドルのステージだった。
「活動開始してしばらくしたら、急に『今のままじゃ上にあがれないぞ。ももクロだって最初はストリートからだ』って当時の事務所の社長に言われて。素直に『そうなんだ、じゃあストリートから頑張ろう』って思って。それからずっとストリートや店頭でした」
この話を聞いて「ライブハウスで歌わずにストリート?」と違和感を覚えるのは、知らない人間からすれば普通の感覚だろう。
「ストリートでやることにはなんの疑問もなかったですね」と松山も当時を振り返る。「当時は何もないのが当たり前だというのをずっと言われていて。それに、ももクロさんの話も聞いていたし......」
当然、大きなステージを夢見る松山にとっては「ももクロ」という偉大なるアイドルの名を出されれば納得するしかない。兎にも角にも、選択肢がほかにないわけなのだから。
「3~4年間はストリートや店頭でやっていましたね。最初は誰も立ち止まって見てくれなくて、全然ダメでした」
右も左もわからず、特にレッスンも受けていたわけではない。そんな子がストリートや店頭に立ってパフォーマンスしても、見向きもされないのは、ある意味当然だろう。
「あるときから『ただ歌っているだけじゃダメなんだ。ちゃんと見て、楽しんでほしい』と意識して歌うようにしました。それでも最初は0~3人くらいでしたけど」
観客は多くて3人。けれども「楽しんでもらうことを意識して歌う」。これがこの頃、松山が手に入れた「最大の気づき」だった。
「100万円かかるから払って」大人たちの罠
活動をはじめて4年目。日々、ストリートや店頭でのアピールを続けながら、自身の活動に対して真っすぐに歩んできた松山に「大きな転機」が訪れる。
それは、恐ろしくもあり悔しくもある出来事だった。
「ちょうどワンマンライブが終わって少しした頃に、事務所がとある音楽プロデューサーと組んだんです。それで、『カバーだけじゃ限界だからオリジナルのアルバムを出そう』ということになって。『その費用が100万円かかる』と言われました」
音楽CDを出すのはアイドルであればひとつの目標である。ましてやストリートがメインといえどキャリアを重ねてきている。さぞ嬉しい話かと思いきやまったく違うものだった。
「その100万円、事務所が払うんじゃなくて、私が払えって言われて。さすがに『あれ? これはおかしいぞ』って思い周りに相談したら、『それはおかしいから、絶対やめな』ってアドバイスもらって。それで逃げるようにその事務所を辞めました」
松山に限らず「地下アイドルの世界」では、こういった「詐欺まがいの話」は多々ある。