世界は「届かないとは思わない」YOSHIKIが語る日本エンタメ界の現在地と、LAで挑戦を続ける訳
ロサンゼルスを拠点に活動するYOSHIKI PHOTOGRAPH BY TAKAHIRO IGARASHI (SIGNO) FOR NEWSWEEK JAPAN, HAIR AND MAKEUP BY TOSHIHIRO TAKAKI (SEED&BEAUTY), STYLING BY YOSHIYUKI OKUMURA (A STYLE INC.)
<世界の最前線で戦い続ける数少ない日本人アーティストの1人であるYOSHIKI。ロサンゼルスに移住して30年目に当たる今年、YOSHIKIが本誌に語ったX JAPANの海外進出と、ゆずれない生き方とは 【特集 世界に挑戦する日本人20】より>
これまで世界に活動の場を広げてきた日本のアーティストはあまたいるが、なかでもロックバンドX JAPANのリーダー、YOSHIKIはひときわ異彩を放つ存在だ。
YOSHIKI(ドラム、ピアノ)が幼なじみのToshl(ボーカル)とXを結成したのは1982年のこと。87年にはHIDE(ギター)、PATA(ギター)、TAIJI(ベース)というメンバーで活動を開始し、異色のビジュアル系ロックバンドとして日本で熱狂的な支持を得る。
そして人気絶頂にあった92年、TAIJIの脱退とHEATH(ベース)の加入、また米アトランティック・レコーズと契約し、X JAPANと改名して世界進出することが発表された。
しかし97年、Toshlが脱退しバンドは解散。翌年にはHIDEの急死という悲劇に襲われたが、X JAPANはインターネットを通じて世界各地に熱狂的なファンを生んでいく。
07年に再結成すると、09年のSUGIZO(ギター)加入を経て、14年にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)、17年にはロンドンのウェンブリー・アリーナで単独公演を行った。
X JAPANは、この年にロックの殿堂ウェンブリー・アリーナで開催された最も優れた公演に与えられる賞「17年度 SSEアリーナ・ライブアワード」を受賞。翌年、世界最大級のアメリカのフェスである「コーチェラ・フェスティバル」にヘッドライナーとして出演した際には、米メディアに絶賛された。
YOSHIKI自身は、世界進出を決めた92年以来、自宅とスタジオを持つロサンゼルスを拠点に活動を続けている。ハリウッド映画のテーマ曲や、米ゴールデングローブ賞の公式テーマ曲を手掛け、2020年にはロックバンドU2のボノや米歌手ジェニファー・ハドソンらとコロナ禍の終息を願う新曲を発表するなど、世界的ミュージシャンと肩を並べ活躍する。
09年には最高級カリフォルニアワイン「オーパス・ワン」を手掛けた名醸造家ロバート・モンダヴィの孫であるロブ・モンダヴィJr.とタッグを組み、ワインブランド「Y by YOSHIKI」を立ち上げた。今秋には新たにシャンパンもプロデュースし、実業家としても新境地を切り開いている。
YOSHIKIはなぜ、挑戦をやめないのか。ロサンゼルスに移住してからちょうど30年目に当たる今年、一時帰国中の彼に世界進出の原点から話を聞くと、そこで語られたのは挑戦を「業(ごう)」とするYOSHIKIの生き方だった。
92年、国内アーティストとして史上初の東京ドーム3日間公演を行うなど人気絶頂期にあったXは、「X JAPAN」と改名し世界にチャレンジすることを決めた。
「Xとして、海外進出というのは常に視野にあった。だけどまずは日本で成功しなければ、と思っていた。デビュー当時は、日本の音楽業界に反発する気持ちでやっていたところもある。