今だから語れる、米倉涼子が明かしたブロードウェイ『シカゴ』初主演の舞台裏
今年11月に『シカゴ』ブロードウェイ公演に主演する米倉涼子 PHOTOGRAPH BY ATSUKO TANAKA FOR NEWSWEEK JAPAN, HAIR AND MAKEUP BY SEIICHI OKUHARA (SUZUKIOFFICE), STYLING BY MARIKO ENAMI
<ブロードウェイの大人気作『シカゴ』でアジア人初となる主演を果たしてから10年。「歓迎されていない」ところから始まった、今年4度目となるミュージカル最高峰への挑戦【特集 世界に挑戦する日本人20】より>
「ミュージカル」の代名詞である、ニューヨークのブロードウェイ。その中心的劇場で今年26周年というロングランを続ける大人気作『シカゴ』に11月、米倉涼子が4度目の主演を果たす。2012年にアジア人として初めて主役ロキシー・ハートを演じるという快挙を成し遂げ、今年は10年目に当たる米倉に、本誌・小暮聡子が話を聞いた。
――ブロードウェイ・デビューはどんな経緯だったのか。
08年と10年に『シカゴ』の日本公演(日本語版)でロキシー役を務めたときに、(もう1人の主役)ヴェルマ・ケリー役を演じていたアムラ・フェイ・ライトさんの存在が大きかった。彼女は南アフリカ出身で、イギリスでヴェルマ役を演じてからブロードウェイに渡った人。アクセントなども、すごく苦労されている方だと思う。私が今までに見たヴェルマの中で一番好きな人でした。
そのアムラが日本語で演じるために一生懸命に日本語を勉強していて、みんなと仲良くやっている姿を見て、すごいなと思った。2人で遊びに行ったりしながら、包み隠さず話してくれる気さくな方がいつも横で踊っていて。この人みたいになりたいなって思った。アムラもこれだけ頑張っているんだから、私もあっちに行ってみたいって、いま思えば浅はかな考え(笑)。
絶対に無謀だと分かっていたけれど、でももし英語をちゃんと覚えられて、できるんだったらやりたいなって。10年の時点から本当に思い付きだけどやりたいと言っていて、それが念願かなって実現した。
――英語は得意だったのか。
まーったく(笑)。私、英語が一番難しいと、一生思っていると思う。高校卒業後は英会話学校みたいな専門学校に通ったんですが、全然駄目でした。ロキシー役をやるときに改めて勉強しました。
――あの場所で主演することに、怖さはなかったのか。
そういうことを考えないでまず立ちたいと思ってしまったので、それからですよ。いつも憧れていた劇場に行ってみて、立ってみたときに、なに言いだしちゃったんだろうと。その後はずっと怖かった。練習を一緒にやってくださる先生とか、マエストロ(指揮者)は「よく頑張ってるね」とは言ってくれるけれど、「うん」とは言ってくれない。ものすごく苦しかった。