恋の情趣・風雅・情事 ── 江戸の遊廓で女性たちが体現していた「色好み」とは
客と別れるための作戦
遊女は、ばかにされたらひっこまない、という強さも必要でした。客が他の遊女に惹かれた時は、ちゃんと理由を言って遊女の名誉を傷つけることなくきれいに別れる必要がありました。しかし時にはその遊女の欠点を探し(なかなか見つかりませんが)、それを理由に別れる客がいます。それを「口舌」と言い、卑怯なやり方です。遊女は自力で自分の名誉を守らなくてはなりません。
吉田という遊女は、ある客が口舌で別れようとしていることを見抜き、方法を考えました。吉田が座敷を出たところでおならの音がしたので、「これぞいい機会!」と客は喜びます。別れる理由にしようとしたのです。
しかし彼女が同じ廊下を歩いて帰って来た時、ふと立ち止まって迂回して座敷を回りました。客は「あれ?」と思います。さっきのは廊下のきしみだったのだろうか? 吉田は判断に困っている客に、「今日かぎり愛想がつきました」と自分から別れ話を切り出します。その噂は遊廓中に広まって客の方が面目を失ったのです。決着がついた後、吉田は「いかにも(おならの)こき手はこの太夫じゃ」と言い放ったのでした。
遊女は、誰にでも惚れているふりをするわけではありません。小太夫という遊女は客から、「惚れているという誓紙を書け」と言われましたが、言うとおりにしませんでした。
「あなたはたいへん良くしてくださるのですが、どういうわけか私はさほどに思えないのです。噓をつくわけにいきません。惚れていない、という誓紙なら書きましょう」と言ったそうです。その後も二人はとてもいい関係が続きました。
やがてその客が遊廓通いはもうやめにする、という時、小太夫はその男性の紋を付けた着物を10枚作らせて贈り、遊女になった時から今日までのことを書きつづった「我が身の上」という文章を彼に捧げたのです。男として好きになれなくとも、噓をつかず、世話になった恩は忘れず、長いあいだ別れの時の準備を怠らなかったのです。遊女と客の関係でも、男女の友情は可能だったのです。
田中優子(たなか・ゆうこ)
法政大学 名誉教授
1952年神奈川県横浜市生まれ。法政大学社会学部教授、社会学部長、法政大学総長などを歴任。専門は日本近世文学、江戸文化、アジア比較文化。2005年紫綬褒章受章。著書に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫/芸術選奨文部大臣新人賞受賞)、『江戸百夢 近世図像学の楽しみ』(ちくま文庫/芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞)など多数。近著に『日本問答』『江戸問答』(岩波新書/松岡正剛との対談)など。