最新記事

日本史

恋の情趣・風雅・情事 ── 江戸の遊廓で女性たちが体現していた「色好み」とは

2021年11月22日(月)21時39分
田中優子(法政大学 名誉教授) *PRESIDENT Onlineからの転載

客と別れるための作戦

遊女は、ばかにされたらひっこまない、という強さも必要でした。客が他の遊女に惹かれた時は、ちゃんと理由を言って遊女の名誉を傷つけることなくきれいに別れる必要がありました。しかし時にはその遊女の欠点を探し(なかなか見つかりませんが)、それを理由に別れる客がいます。それを「口舌」と言い、卑怯なやり方です。遊女は自力で自分の名誉を守らなくてはなりません。

吉田という遊女は、ある客が口舌で別れようとしていることを見抜き、方法を考えました。吉田が座敷を出たところでおならの音がしたので、「これぞいい機会!」と客は喜びます。別れる理由にしようとしたのです。

しかし彼女が同じ廊下を歩いて帰って来た時、ふと立ち止まって迂回して座敷を回りました。客は「あれ?」と思います。さっきのは廊下のきしみだったのだろうか? 吉田は判断に困っている客に、「今日かぎり愛想がつきました」と自分から別れ話を切り出します。その噂は遊廓中に広まって客の方が面目を失ったのです。決着がついた後、吉田は「いかにも(おならの)こき手はこの太夫じゃ」と言い放ったのでした。

books20221122.jpg遊女は、誰にでも惚れているふりをするわけではありません。小太夫という遊女は客から、「惚れているという誓紙を書け」と言われましたが、言うとおりにしませんでした。

「あなたはたいへん良くしてくださるのですが、どういうわけか私はさほどに思えないのです。噓をつくわけにいきません。惚れていない、という誓紙なら書きましょう」と言ったそうです。その後も二人はとてもいい関係が続きました。

やがてその客が遊廓通いはもうやめにする、という時、小太夫はその男性の紋を付けた着物を10枚作らせて贈り、遊女になった時から今日までのことを書きつづった「我が身の上」という文章を彼に捧げたのです。男として好きになれなくとも、噓をつかず、世話になった恩は忘れず、長いあいだ別れの時の準備を怠らなかったのです。遊女と客の関係でも、男女の友情は可能だったのです。

田中優子(たなか・ゆうこ)

法政大学 名誉教授
1952年神奈川県横浜市生まれ。法政大学社会学部教授、社会学部長、法政大学総長などを歴任。専門は日本近世文学、江戸文化、アジア比較文化。2005年紫綬褒章受章。著書に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫/芸術選奨文部大臣新人賞受賞)、『江戸百夢 近世図像学の楽しみ』(ちくま文庫/芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞)など多数。近著に『日本問答』『江戸問答』(岩波新書/松岡正剛との対談)など。


※当記事は「PRESIDENT Online」からの転載記事です。元記事はこちら
presidentonline.jpg




今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

韓国尹大統領に逮捕状発付、現職初 支持者らが裁判所

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 8
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 9
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 10
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中