恋の情趣・風雅・情事 ── 江戸の遊廓で女性たちが体現していた「色好み」とは
もうひとつは、たびたび声をあげながら、男が達しようとするところを九度も押さえつけ、どんな精力強靱な男でも乱れに乱れてしまうところだ、と。さらに、その後で灯をともして見るその美しさ。別れる時に「さらばや」と言うその落ち着いたやさしい声。これが遊女の「床上手」の意味でした。
初音という遊女は、席がしめやかになると笑わせ、通ぶった客はまるめこみ、うぶな客は涙を流さんばかりに喜んだそうです。床に入る前には、丁寧に何度もうがいをして、ゆっくり髪をとかし、香炉で袖や裾を焚きしめ、横顔まで鏡に映して気をつけました。
世之介(『好色一代男』の主人公です)が眠っていると、「あれ蜘蛛が、蜘蛛が」と言ったので世之介は起きてしまいました。すると「女郎蜘蛛がとりつきます」と抱きついてきて肌を合わせ、背中をさすり、ふんどしの所まで手をやって「今まではどこの女がこのあたりをさわったのかしら」と言います。西鶴は、かけひきが類まれな床ぶりだ、と書いています。
被差別民の客が来れば、衣装に「非人の印」を縫いつけた
「床上手にして名誉の好きにて」と言われた夕霧は、化粧もせず素顔で素足、肉付きはいいのにほっそりとしとやかに見え、まなざしにぬかりがなく、声がよく、肌が雪のようだったそうです。実は初期の遊女は髪にかんざしもほとんどつけず、多くの人が化粧もしませんでした。飾りが一切いらないくらいの、本来の美しさをめざしていたのです。
夕霧はさらに琴、三味線の名手で、座のさばきにそつがなく、手紙文が素晴らしく、人に物をねだらず、自分の物を惜しみなく人にやり、情が深かったそうです。また三笠という名の遊女は、情があって大気(おおらかで小さなことにこだわらないこと)、衣装を素晴らしく着こなし、座はにぎやかにしたかと思うと、床ではしめやかな雰囲気を作ります。誰にでも思いを残させ、また会いたいと思わせる人でした。
名妓たちの良さとしてとくに強調されるのは、下の者に対するやさしさでした。夕霧は八百屋や魚屋がやってきても決してばかにすることなく、喜ばせました。三笠は、客の召し使いや駕籠かきにまで気を遣い、禿(遊廓で修行中の少女たち)が居眠りをするとかばってやりました。
金山という遊女は、ある被差別民の客が身分を隠してやってきてそれが噂になると、衣装にあえて欠け碗、めんつう(器)、竹箸、という非人の印を縫いつけ、「世間はれて我が恋人をしらすべし。人間にいづれか違いあるべし」と言い放ったというから見事です。人権派の遊女、というところです。吉野の話はすでに冒頭で紹介しましたね。遊女の魅力は第一に人間的魅力だったのです。