母語は今やサビつかない
日本語にノータッチは今や不可能
わたしが渡航した1967年、日本とヨーロッパは果てしなく遠かった。1ドル360円、メールはおろかファクスもなく、国際電話は気が遠くなるほど高額で、親の危篤でもなければ国際電話などかかってこないと言われていた時代だ。
たった2年半しかヨーロッパにいなかったわたしも母語のサビつきを経験している。最後の1年はほとんど日本語を話さなかったし、日本の新聞はおろか、書籍も手に入らず、日本文化とはまったく縁のない生活をしていたからだ。
のれん、草履、茶碗、ふすま、ちゃぶ台――ドイツ人に日本の生活を説明しようとしたときに、こういう単語がまったく出てこなくなっていた。
しかし、帰国して羽田からタクシーに乗ったとたん、「きんつば、よもぎもち、大福、黄味しぐれ......」など、わたしの頭の中は思ってもみない和菓子の日本語であふれ返ってきた。日本に帰ったら和菓子を食べたいという気持が心のどこかにあったのだろう。
それから、つぎつぎと脈絡もなく、ドイツで思い出せなかった先ほどの単語が小箱の蓋が突然開いたように思い出された。日本に帰ってきたというだけなのに、強烈な体験だった。
今はどうだろう? ZOOMやスカイプ、LINE電話など、海外にいても日本にいる家族や友人と無料同然でいつでも気軽にコンタクトを取ることができる。むしろ1年以上まったく日本語で考えなかったり、話さないことのほうが今は難しいのではないだろうか?
母語がサビついた時代はもはや遠い。
[筆者]
平野卿子
翻訳家。お茶の水女子大学卒業後、ドイツ・テュービンゲン大学留学。訳書に『敏感すぎるあなたへ――緊張、不安、パニックは自分で断ち切れる』、『落ち込みやすいあなたへ――「うつ」も「燃え尽き症候群」も自分で断ち切れる』(ともにCCCメディアハウス)、『ネオナチの少女』(筑摩書房)、『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』(河出書房新社、2006年レッシング・ドイツ連邦共和国翻訳賞受賞)など多数。著書に『肌断食――スキンケア、やめました』(河出書房新社)がある。