『イカゲーム』の悪夢が世界をここまで虜にする理由
ENJOYING THE GAME
だが、昔の寓話や詩、絵画に見られる桃源郷の描写から、村上春樹のポストモダン小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に至るまで、東アジアで紡がれてきた物語では、幻想への一時逃避が重要な要素となってきた。
本作は世界全体が資本主義のゲームにのみ込まれ、もはや逃げ場がないことを常に突き付けてくるドラマで、しかもネットフリックスで世界に発信されている。その中に現実と幻想が並行して語られる東アジア的スタイルが取り入れられているのだ。
セビョクとジヨンにとって、自分たちでつくった幻想の世界以外に出口はない。幻想は2人を生き延びさせてはくれなかったかもしれない。だが、勝者になるか敗者になるかの選択を強いるシステムに閉じ込められた2人にとって、多少なりとも救いにはなったはずだ。
さて、このドラマでは終盤に、人生についてのある「真実」が語られる。ゲームは観戦するより参加するほうがはるかにエキサイティングだ、というものだ。
プロのスポーツ選手になれる技量が自分にはないと分かっていても人々が長い時間をスポーツに費やすのは、プレーすることの喜び故だ。仕事も同じ。資本主義制度においては、骨の折れるつまらない仕事や不公平な報酬、雇われる側の立場の不安定さに対する不満は仕事に常に付いて回るものだった。
もし『イカゲーム』から学ぶことがあるとすれば、それは人生へのアプローチは変えられるということだ。
私が9歳の娘とモノポリーで遊んだときのこと。始めてから数時間、私の負けが不可避と分かると娘は大泣きした。ゲームが終わるのが悲しかったからだ。ゲームを続けられないなら、勝者になっても意味はない。
たぶん私たちは、子供時代には身近だったゲームをプレーすることの喜びを、自分自身の手で再発見しなければならないのだろう。大事なのは勝ち負けではない。働くことにも生きることにも喜びを見つけるということだ。