白人男性作家に残された2つの道──MeToo時代の文壇とメディアと「私小説」
マツネフ事件はごく一例にすぎない。白人男性中心主義への批判は連鎖的に広がり続けている。人気作家パスカル・ブリュクネルは、エッセイ『ほとんど完璧な有罪者――白い贖罪山羊の作られ方』(2020年)で、「白人男性になお許された唯一のアイデンティティは痛悔のアイデンティティのみだ」と嘆き、「白人男性差別」の行き過ぎを訴えているが、防戦一方の印象は否めない。
そこで改めて、いまフランスの白人男性作家にはいかなる道がありうるのかを考えてみたい。大きく2つの可能性があるだろう。1つは、そうした社会の動きから完全に切り離された(かのような)虚構の世界に遊ぶという方向。もう1つは、まさしくアイデンティティの危機に苦しみ、人生の方向を見失ったおのれの姿を真摯に綴るというやり方。ここでは後者の興味深い例としてエマニュエル・カレールの『ヨガ』(2020年、未訳)を取り上げたい。
エマニュエル・カレール
『ヨガ』
Yoga
by Emmanuel Carrère
(P.O.L., 2020)
カレールは1957年生まれ。彼の母親はいまだ数少ない女性アカデミー・フランセーズ会員の一人である、高名な歴史学者エレーヌ・カレール・ダンコース。教養豊かな一家に育ったカレールは、作家としてすでに大きな成功を収めているが、その作品の核心にはつねに存在の不安があり、生きることの困難がある。
前作『王国』(2014年)では、かつては熱心なキリスト教信徒だった自分が信仰を失った経緯を綴って大きな反響を引き起こした。同時にカレールは、自らの経験に対比させて、古代、パウロやルカがキリストに導かれていったさまを想像裡に描き出した。そこには何かを信ずることへのノスタルジアと憧れも色濃く滲んでいた。この力作長編から6年のブランクを経て、現代を生きる者としての苦しみをさらに赤裸々に描いた作品が『ヨガ』である。
表題どおり、まずカレール自身のヨガ体験が語られていく。いかにも、生きづらい白人中年男が安易な救いを求めて「ニューエイジ」的な方向に舵を切ったかに思える。だがカレールは30年来ヨガを学び、幾度かの抑鬱神経症的な危機を乗り越えるうえで、ヨガの効用を実感していた。