ジョン・レノンを国外追放の危機から救った最強の弁護士【没後40年特集より】
移民帰化局の前で喜ぶジョンとヨーコと弁護士のワイルズ(左端がワイルズ、1972年4月)JAMES GARRETTーNY DAILY NEWS ARCHIVE/GETTY IMAGES
<米政府が企てる国外退去措置に対抗するため雇われた私はジョンとヨーコの名前も知らなかった>
まだベトナム戦争が続いていた1970年代初頭、米国政府は「反戦セレブ」のジョン・レノンとヨーコ・オノを追い払おうと画策していた。
しかし当時ニューヨークに滞在していた2人は敏腕弁護士リオン・ワイルズを雇って訴訟で対抗し、勝利した。この判例は今も生きていて多くの移民を救っている。以下ではジョンとヨーコに初めて会った日の詳細をワイルズ自身が語る。
法科大学院で一緒だったアラン・カーンから電話が入ったのは1972年1月14日だ。
「リオン、君に新しいクライアントを紹介させてくれ。すごい大物だぞ。ただし、こっちから出向かなきゃいけない。誰だと思う? ジョン・レノンとヨーコ・オノだ。入管法に強い弁護士を探してるので、君を推薦した」
「うれしいね。いつ、どこに出向けばいいんだ?」と私は応じた。
数時間後、私がアップル・レコードの超モダンな社屋に着くと、満面の笑みを浮かべたアランが待っていた。
「リオン、この2人に会えるなら何でもするって弁護士は山ほどいるんだ。私のボスに会ってもらう前に、ざっと事情を説明しよう」
「その前に聞いておきたいんだが、その2人、いったい誰なんだ?」
私が言うと、アランは口をあんぐり開けた。
「ウソだろ、本当に知らないのか?」
私は気まずい気持ちで肩をすくめた。
「知らない」
「分かった、そのことは伏せておこう」と彼は声を潜めた。「あの業界の人間の常として、2人はでかいエゴの持ち主だ。ジョンは、たぶん史上最高の偉大なミュージシャン。ヨーコは彼の妻。彼女もアーティストだが、作品は誰も理解できない。でも彼らのことは誰もが知っている」
それから私たちは運転手付きの黒いキャデラックに乗り込み、30分ほどでグリニッチビレッジにある2人の宿舎に着いた。先導役はアランのボスでジョンのマネジャーでもあるアレン・クライン。ドア越しに来訪者を確認しようとする若者を押しのけ、さっさと中に入った。
私たちはキッチンのテーブルに座り、アランが2人の在留資格に関する書類を広げた。私がじっくり目を通す間もなく、奥の部屋のドアが開いて黒ずくめのきゃしゃなアジア人女性が入ってきた。黒いロングヘアで、大きい目は表情豊かだ。その女性は私と握手し、アランにほほ笑みかけたが、マネジャーのクラインには顔も向けなかった。クラインも知らん顔をしている。