ジョン・レノンが暗殺の直前に語った家族と反戦とビートルズ【没後40周年特集より】
――音楽から完全に離れるのはつらくなかった?
ジョン 最初はつらかった。でも音楽的には、僕の頭はごちゃごちゃだったんだ。74年のアルバム『心の壁、愛の橋』にそれがよく表れている。あれは半分病気の器用な男が作ったものだ。インスピレーションもなく、苦しそうな雰囲気がにじみ出ている。自分の頭の中の騒音のせいで、音楽が聞こえなくなっていた。でも、そこに背を向けると、また聞こえてきた。木の下で白昼夢を見ていなかったら、木から落ちるリンゴが何を意味するのかを思いつかなかったニュートンみたいにね。そういうのが生きがいだ......5年に1度、頭にリンゴが落ちてくることに喜びを感じている。
――音楽を聞くのもやめた?
ジョン 聞くのはほとんどクラシックか(公共の場で流れている)BGMくらいかな。他の人の作品には興味ないんだ。感動を得るもの以外はね。今はもう(ディスコクラブの)スタジオ54や、それ以外のロッククラブに通わなくていい栄光に浴している。その質問は、ピカソに「最近、美術館に行った?」と聞くようなものだ。
――アルバムづくりを再開したのはなぜ?
ジョン 主夫のくせして、仕事をしたくなったのさ。10月9日で僕は40歳に、ショーンは5歳になる。そろそろ息子に、「パパはほかのこともできるんだ」ってところを見せたくなった。ショーンは驚くだろう。この5年間は、まともにギターに触れたこともないんだから。去年のクリスマスに、近所の人がショーンに「イエロー・サブマリン」を教えてね、家に帰ってきたショーンがいきなり、「パパはビートルズだったの?」って聞くんだ。僕は「うん、まあね」って答えた。
――『ダブル・ファンタジー』をヨーコと共作にした理由は?
ジョン ジョンとヨーコで演じる劇みたいなものだからね。嫌なら見るなってこと。あるいは(笑いながら)牛とチーズの関係かな! ヨーコと一緒にいることで、初めて僕は完全になる。彼女がそこにいなかったら歌いたくない。僕たちは互いにスピリチュアルなメンターだ。ビートルズをやめて、最初は「もうポールやジョージやリンゴの言うことに耳を傾けなくていいんだ」と思うだけでうれしかった。でも、一人きりで歌うのは退屈だ。