『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』は何の本か?
ジュンク堂書店那覇店の『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』売り場(筆者提供)
<「自尊心」をキーワードに沖縄の貧困問題に迫った『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』の著者自身が、反響の大きさを受け、本の成り立ちを説明する>
拙著が物議を醸している。沖縄最大のジュンク堂書店那覇店では6週間連続総合ランキング1位(7月末現在)であることをはじめ、全国的にも大いに注目され、出版から1ヶ月もたたないうちに4刷が決まった。手に取ってくださっている多くの方々は、驚き、勇気づけられ、感動し、涙する一方で、激怒し、恨み、絶望する人たちもいる。
そうなることを望んでいたわけではないが、現実にこれほどの注目を集めている以上、筆者としての意図をはっきりと発信した方がいいのではないかと思うようになった。実際この本は、解釈する人によって、全く違った本であるかのように感じられる可能性が高く、「何の本か」という問いは、それほど単純ではない。
だから、『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』(光文社新書)が何の本かを語る上で、まず、「この本がそうでないもの」を説明する必要があると思う。「この本は〇〇の本だ」、と語ることが難しければ、まずは、そうでないものを説明することから始めるしかない。
特定のカテゴリーに入らない本に仕上がった
第一に、この本は特定のカテゴリーに入らない。自分では意識していなかったから、誰かが指摘してくれるまで気づかなかったのだが、確かに、この本のジャンルを特定することは難しい。沖縄地域研究、経済、貧困問題、文化、心理学、幸福論、哲学、スピリチュアリティ、経営、マーケティング、未来学、教育、子育て、自己啓発、社会学、日本研究、エッセイ、ノンフィクション、物語......どれも該当しそうだが、どのカテゴリーでもないとも言える。
そのような本に仕上がった理由にはいくつか思い当たることがある。私自身カテゴリーにまったく関心がないからだ。言い逃れでも何でもなく、私は沖縄の専門家ではないし、貧困の研究者でもない。教室では魂を込めて学生と接し、私の情熱の全てをぶつける努力を続けているが、自分の中では教育者とも違うし、今年でもう9年目になる大学教員という職責にもいまだに実感がない。だから本書は研究者の立場で書いたわけではない。
アカデミズムの世界で、私の論説はどこにも分類されそうにないし、そもそも、私の存在自体が一般的なアカデミズムのルールに沿ってもいない。研究者といえば「専門分野」がありそうなものだが、私は自分が心から関心を持ちたいと思うことにしか関心が持てない質で、「専門分野」という枠組みを背負った瞬間に、その中に、自分自身に対する嘘が混じってしまうような気がするのだ。下手なたとえかもしれないが、アカデミズムの専門分野は、国境のようなものだと思う。一見重大なことのようにも感じられるが(そしてもちろん、その意義は大きいが)、例えば人間、自然、宇宙を考える際には意味をもたなくなる。
事業経営者であることは、私にとって本当に(多分教員であることよりも)大切なことだが、資本主義経済のルールにはほとんど関心がないし、こんなことを言ってはかなりスカしていると思われそうだが、お金そのものにも(今では)ほとんど関心がない。だからと言って、利益が破格に上がらない事業にも関心がない。対価に対して無関心でいることも、自分と自分が関わる人たちを粗末にすることだと思うからだ。
私は、お金について一番大切なことは活かし方(つまり、愛だ)だと思う。愛に向き合い、愛を学び、愛を生きるから、はじめてお金を人間の役に立てることができる。これは、実は、事業者にしかできない仕事だと思う。
そもそも、イノベーションとは、常にノンジャンルではないかとも思う。経営者の本質の一つは、昨日まで世の中に存在しなかったものを、形にすることである。新しい物を生み出すときに、(過去の)専門分野はあまり意味を持たない。