福島第一原発事故は、まだ終わっていない
Newsweek Japan
<2011年3月の東日本大震災直後からイチエフの取材を続けてきた東京新聞記者。その「9年間の記録」には、郷土愛があふれている>
『ふくしま原発作業員日誌――イチエフの真実、9年間の記録』(片山夏子・著、朝日新聞出版)の著者は、中日新聞東京本社(「東京新聞」)の記者。2011年3月11日に東日本大震災が起きたときには、名古屋社会部に所属していたのだという。
2011年3月11日午後2時46分。東北の三陸沖で、日本の観測史上最大となるマグニチュード9.0の大地震が発生、その30分~1時間後に太平洋沿岸を大津波が襲った。このとき私は名古屋社会部所属で名古屋にいた。ちょうど休みの日で自宅にいたが、直後に携帯と家の電話が同時に鳴った。召集がかかり、すぐに本社へ向かった。(「序章」より)
そののち7月になると著者は東京社会部への異動の辞令を受け、原発班担当に。キャップから「福島第一原発でどんな人が働いているのか。作業員の横顔がわかるように取材してほしい」と打診され、取材方法も切り口も定まらず、取材先のあてもないまま、原発から約2キロ離れたいわき市に向かう。
どう書けば、彼らの人柄や日常の様子が読者に生き生きと伝わるだろうか。上司と相談しているうちに、一人ひとりの作業員が語った「日誌」という形をとろうと決まった。そして何度か書いているうちに原稿の形が浮かび上がってきた。(「序章」より)
そんな本書は、2011年の"日誌"を紹介した1章からスタートし、2019年の9章まで続いていく。時系列に沿っているからこそ、改めて実感せざるを得ないのは、「まだ何も終わっていない」という絶対的な事実だ。そんなことを意識してか、9章にも「終わらない『福島第一原発事故』」というタイトルが付けられている。
衝撃的だったのは、この章の冒頭に登場する「ハルトさん(35歳)」の項に付けられた「事故当時の中高生がイチエフで働くように」という見出しである。9年も経っているのだから当時の中高生が社会人になっていて当然だが、普段あまり気にすることのない(しかし気にしなければいけない)現実を目の前に突きつけられたような気がしたのだ。
原発事故から8年。この時期は急に原発や被災地のニュースがたくさん流れて、いろいろ思い出したり考えたりしてつらい。気分が悪くなるので、ニュースは見ないようにする。今年の3・11は、県外に出て重機の資格を取り、次の福島での仕事のために道具を買いそろえた。被災地では、やらなくてはならないことがたくさんある。(413ページより)
ハルトさんが最後にイチエフを離れてから1年半。事故後の累積被ばく線量は、あと数ミリで100mSvに達するという。「生涯線量が300mSvとか400mSvになる猛者もいる」というので驚かずにはいられないが、元請け企業からは「100mSvを超えたら、原発の現場にもう入るな」と言われているのだそうだ。