米誌が選ぶ東京新名所「チームラボ ボーダレス」の仕掛け人・杉山央とは何者か
Torus 写真:西田香織
8月下旬に公表された、米TIME誌のThe World's 100 Greatest Places of 2019。メキシコやセネガル、アイスランドなど各地の観光地とともに、日本のある美術館が選ばれた。
東京・お台場の「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: EPSON teamLab Borderless」。
アートコレクティブ・チームラボと、ディベロッパー・森ビルが手を組み生まれたミュージアムは、開設から1年で日本のインバウンドを象徴する名所になった。230万人が訪れ、その半数が海外からの観光客だ。
その仕掛け人が、杉山央さん。
表現することをためらった子ども時代を経て、街を使って遊ぶようなアートを仲間と仕掛けていくワクワクを知った。
変わらない志で、東京の新名所を生み出すまでの歩みとは。
ゲームの世界なら、自由になれた
杉山)家族やその周りに芸術家がたくさんいる環境で育ちました。父方の祖父が日本画家の杉山寧、母方の祖父は建築家の谷口吉郎。作家の三島由紀夫は伯父でした。
子供の頃の遊び場は、祖父が日本画を描くための画室でした。体育館並みの広さがあって、大きな絵を上げ下げするエレベーターから写真を現像する暗室や動物のはく製まで、何でもありました。巨大な絵を描く時に使う、座ったまま移動する機械制御の椅子が面白くてずっと遊んでいたのを覚えています。
祖父とは一緒に絵も描いたこともあります。僕のカブトムシの絵の横に、祖父が下書きなしでカマキリとアゲハチョウをサラサラと描く。それが、びっくりするほど美しかった。構図から何から迷いなく、ピタリと答えに行き着いていた。この絵は宝物として今も持っています。
絵の上手さって実物を忠実に表現するだけじゃない。実物よりも美しく表現することなんだ。それが芸術というものなんだ、と子供のころから思っていました。
杉山)そんな圧倒的な才能が近くにいたことで、僕自身、萎縮していたところがあります。何かを作ったり表現したりするのは恥ずかしいとすら思っていました。
図画工作の授業でも「杉山くんのおじいさんは有名な画家でね」となって「どれどれ杉山くんの絵を見てみようか」となる。
恵まれすぎた家庭環境といえばいいのか、何でも決めてくれる親と、面倒見のいい姉もいて。自分で何か意思決定できる機会はほぼなかった。
格好悪い話なんですが、のびのびと自由に過ごせたのはゲームの世界だけでした。朝から晩までファミコンやパソコンゲームばかりしていた。作文にも「将来はドラゴンクエストを作る人になりたい」と書いてましたし。
本当に自分がやりたいことってなんだろうと、ずっと探し求めていました。身体が小さかったし運動が得意だったわけでもない。ただ、他人がやってないような新しいアイデアはよく思いついてほめてもらえた。そんな体験は、徐々に積みあがってはいました。
けれど、一人だと自信もないし、決心もつかない。どうすればいいかも分からなかった。