紀里谷和明、ハリウッド監督デビューを語る
――モーガン・フリーマンから言われた一言に感動したそうだが。
モーガンの撮影最終日だった。僕は撮影があまりに過酷で、肉体的、精神的にものすごく、これ以上ないってくらいに追い詰められていた。これが終わったらもう映画はやめよう、こんな苦しいことをなぜやる必要があるのかと思っていた。そうしたら休み時間に座っていた僕のところに彼がきてくれて、「自分はいろんな監督と仕事をしたことがあるが、君は大丈夫だから」と声を掛けてくれたんです。
自分はダメだ、指揮官の資格がない、適していないと思って精神的に追い込まれている状態だった。でもモーガンにそう言われて、止めるのを止めよう、もっと続けようと思いましたね。とにかく嬉しかったし、救ってもらった。
その時、「僕がもっと良い監督になるにはどうしたらいいか」と尋ねたら、「Listen」と。意味を聞き返しても、ただ「Listen」と言って立ち去っていった。いろいろな意味があると思うけど、あれこれ分析するのはやめた。
――かつて日本映画界を批判するような発言をして、映画が撮れなくなるほど立場が難しくなった時期もあった。
言ってしまえば、個人の話ではないんです。『CASSHERN』の頃からそうだった。
「日本人だから出来ない」っていう言葉が、僕は嫌で仕方がない。外国の人たちが「日本は島国だから」「あいつら島国だから」なんて言うのは聞いたことがないし、もし自分に子供がいたら「おまえは日本人だからできない」なんて口が裂けても言わない。
最初に僕が映画を撮ろうとしたとき、周りの人たちに「そんな作品を撮るのは日本では無理。ハリウッドじゃないんだからさ」と言われた。「だったら僕がやります」と、日本では言ってはいけないことを言ってしまったんです。
04年に『CASSHERN』が公開され、アメリカからオファーがいくつも来て、エージェンシーと契約もした。それが今回の『ラスト・ナイツ』につながっている。あの頃から、僕の作品が否定されてもいいけど、こういうやり方でやってみればそんなにお金を使わなくてもいろんなことができるでしょう、という気持ちがあった。僕は映画業界のこと思っていたし、日本のことを思っていた。それは今も同じ。『ラスト・ナイツ』をやることで、日本でもこういうキャストで、こういう作品を作れるんじゃないですかと。少なくとも日本人だから出来ない、というのは違うと証明したつもりです。
15歳からアメリカで暮らしているから、偏見や差別については分かっているつもり。黒人の友達やゲイの友達、自分も含めて周りの人間がどんな偏見を受けてきたかを分かっている。日本人は、自分で自分に偏見を持っているんだと思う。
もっと世界に貢献できるのに、「日本人だから」と逃げている気がする。僕が『ラスト・ナイツ』を撮ることによって、その偏見が0.1ミリかもしれないけど変わる可能性があると思っている。
――次回作はどこで撮る?
海外で。撮影場所はアメリカかカナダです。