さらばCG、映画は人間だ
しかし同じく08年の『アイアンマン』の場合、ロバート・ダウニーJr.は見事に成功している。彼の突き放したような演技は、大作の仮面をかぶりながら徹底したバカバカしさで楽しませるタイプの映画にぴったりだった。
今年5月に全米公開された『アイアンマン2』でも、ダウニーは自意識過剰なヒーロー、トニー・スタークをにこりともせずに演じて笑わせた。ダウニーは才能豊かな俳優だ。女たらしの主人公が、心臓に埋め込んだ生命維持装置が実は自分の命を奪おうとしていると気付いて苦しむくだりでは、私もちょっと心を揺さぶられた。
とはいえ、前作のようにダウニーがのびのびと演じる余地はない。ジョン・ファブロー監督が夏の大作に求められる刺激の強いアクションと爆発シーンに力を入れたため、ダウニーの人間的な等身大の魅力はだいぶ損なわれた。
著名劇作家がフィニッシュ
5月の全米公開前に最も期待を集めたのは『ロビン・フッド』だろう(日本公開は12月の予定)。あのラッセル・クロウが弓矢と棍棒でフランス軍に立ち向かうと聞けば、それだけでドキドキする。しかし製作側は脚本を重視して、劇作家のトム・ストッパードにセリフの監修を依頼したという。
ストッパードは『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』などの高尚でユーモラスな作品で知られる書き手。彼の手によるセリフが娯楽大作で聞けるというのは、ちょっぴり知性を刺激してくれる事件だ。
ストッパードらしさが感じられるのは、例えばクロウと共演のケイト・ブランシェットの言葉遊びに満ちた会話。巨体のリトル・ジョンが、リトルと呼ばれる理由は「これでバランスが取れるってものさ」と言う場面もそうだ。
マックス・フォン・シドー演じる老人が、「朝立ちをした」と言う場面もある。ここでは娯楽作品ではめったに聞かれない難解な単語が使われるが、それもストッパードのアイデアだろう。
しかし、言葉の魅力だけでは夏のアクション大作の条件を満たせない。残酷なシーンも必要だ。
ロビンは故郷のノッティンガムを守って愛する女性と結ばれるだけでなく、イングランドの運命も決しなければならない。だが、彼が勝利を収めるまでには3時間近くかかり、もう観客はぐったりだ(夏の大作は大抵こういうところでボロを出す)。
『アイアンマン』のジャンルを超越したウイットや『ダークナイト』のジョーカーのカリスマ性を示せないまま、『ロビン・フッド』はお決まりの派手な爆発や突撃シーンを経てクライマックスの戦いへと突き進む。それって、あまりに見慣れた光景だ。