「東大王」紀野紗良が「もっと早く読んでおきたかった」と悔やむ1冊の本
紀野さん自身、「北海道から1人で東京に来る」ことも、運をつかむ大きな一歩になった。東大に進学したことで、『東大王』のメンバーになれたからだ。
しかし最初から東大志望だったわけではなく、もともとは京都大学に行きたいと考えていたという。
子供のころから和菓子が好きだったので、和菓子の本場と言えば京都だなということで、なんとなく興味がありました。実際に小学生の時に何度か旅行したのですが、街の雰囲気に触れて自分の中の和心が目覚めたというか、京都という街が大好きになって。
だから、まず京都に住みたいと思い、そのために京大に行こうと考えていました。
クイズ研究会1択だったが、謎解きサークルに出合う
3歳からバレエを習っていた紀野さんの夢は、ずっとバレリーナだった。しかし小学4年生になる頃から、「医師になりたい」と思うようになった。
祖父が耳鼻科の医院を開業しているなど、周りに医療関係者が多かったんです。祖父は患者の子供たちの不安を取り除くために、診察のかたわらマジックを披露していたりして、そういう姿がとてもかっこよく見えました。
それで京大医学部を目指したのですが、高校2年生になる春休みに現役東大生の話を聞く機会があり、「東大に行きたい」と思うようになりました。東大に入学すると理系・文系関係なく全員が2年間、教養学部に配属されます。そこで学部の垣根を越えた科目が学べると知り、いろいろなことを知りたい自分に合っていると思ったからです。
理科志望だったのですが、3類は進学先がほぼ医学部に絞られますし、1類で工学を学ぶのはちょっと違うなと思ったので、農学や理学、生物学などを幅広く学べて他より女子学生の比率が多い2類を志望しました。
晴れて現役合格したものの、最初のうちは環境に馴染めない部分があった。北海道と東京では空気そのものが違うし、有名校からの進学者は入学時にグループ化していて、声をかけにくい雰囲気があったと振り返る。
まず、東京に慣れることが大変でした。住んでいた部屋の近くを首都高が通っていたので、空気が淀んでいて毎日頭痛がしました。
あとは人間関係ですね。筑駒(筑波大学付属駒場中学・高校)や灘、桜陰など東大に何人も進学する学校出身者は、当然ながら入学時点ですでに知り合い同士。
私も同じ高校からの仲間は5人いましたが、女子は1人だったので、科類が違う子や他の地方出身者に声をかけて、コミュニティーを広げていきました。浪人経験者の中には「同じ予備校仲間」みたいなグループもあって、それも羨ましかったですね。
そんな紀野さんだったが、誘われるのではなく自分から「AnotherVision」というサークルのドアを叩いた。AnotherVisionは東大生を中心とした謎解き制作集団で、松丸亮吾が2代目の代表を務めている。
このAnotherVisionで培った力が『東大王』に役立っている。