人と接するのが苦手? 周りと噛み合わない? 人間関係に効く「即興演劇」の技術
居場所作りに必要なのは「お題」
渡辺氏によれば、自分にとって居心地のよい居場所には、自分に対する「お題」と、それによって行動目的が明確に見える「役割」が必ずある。インプロのコミュニケーション術では、決められたお題のもとに役割を見つけ、どんな行動をするか、心をリアルに動かしながらトレーニングするという。
では、その「お題」とは何だろうか? それは「本音で語る」ことだ。インプロでも実際の人間関係でも、このお題に忠実でいられない状況では、自分の役割を見つけることができなくなり、その瞬間、人は居場所のなさを強く感じてしまう。
本音を語らないということは、何でも言えるということだ。本音を言ってもいいし、曖昧に答えてもいいし、嘘をついてもいい。自由過ぎて、かえって何も言えなくなってしまう。
お題として「本音で語る」という大前提があるからこそ、そこでの自分の「役割」がはっきりする。ここで言う「役割」とは、周りから必要とされる際に必要となるものだ。
人間関係だけでなく、社会的な居場所も
どんな集団であれ、意識的もしくは無意識のうちに、リーダー役や世話役、盛り立て役、イジられ役といった、何らの「役割」があるものだ。
そして、どんな役割であれ、本音で語ることができるのならば、それは自分にとって最適な役割であり、そこに自分の居場所を感じられる。無理をしてガラにもない役割を演じても、それは集団だけでなく自分自身にも嘘をついていることになり、居心地がよくなるはずもない。
ただし、どんな集団でも同じ役割というわけにはいかないし、同じ人間関係であっても、時間や状況の変化とともに居場所が変わることもある。また、役割と言うと、家族や友人、会社における人間関係だけを思い浮かべがちだが、そうしたミクロの居場所だけでなく、マクロの居場所、つまり社会的な居場所も作るべきだという。
ミクロの居場所のお題が「その集団やメンバーに本音で語る」であるなら、マクロの居場所では「社会に対して本音で語る」ことがお題になる。仕事や肩書きなど関係なく、社会に胸を張って「自分はこれに力を入れている」と言えることがあれば、それがマクロの居場所だ。
これら2つの居場所は切り離されて考えられる傾向にあるが、インプロにおいては、集団の規模は関係ないという。あくまでも「自分と他者との関係性」が集団であって、だからこそミクロの居場所とマクロの居場所の両方を確保しなければ人生のバランスが崩れることになる、と渡辺氏は指摘する。