もう1つの<異端>大学教授──学歴はなくとも研究業績は博士に匹敵する人たち
まさに、独学者の「一つの生き方」を示している。また、社会学者の加藤秀俊氏が書いた『独学のすすめ――現代教育考』(文藝春秋、1975年〔初版〕)では、学校が学問をする唯一の場ではなく、数多くの「学び」の場の一つであることを明言しているが、これもまた「独学」の神髄を突いている言葉である。
日本の独学者列伝:南方熊楠から安藤忠雄まで
明治以降の近代社会では、植物学者の牧野富太郎氏、博物学者・民俗学者の南方熊楠氏、英語学者の田中菊雄氏等が象徴的な独学者として取り上げられてきた。
建築界の異端児で世界的に著名な安藤忠雄氏は工業高校卒業ながら、独学で建築学を勉強し、数々の国際的な賞を受賞し、短期間(1997―2003年)ではあるが、東京大学大学院工学研究科教授として招聘され、現在は東京大学特別栄誉教授となり、まさに現代独学者のトップランナーである。
また、東京大学大学院経済学研究科教授の柳川範之氏は大検、大学の通信教育学部(慶應大学)、東大大学院を経て、東大教授になった人物である。彼はその著作『独学という道もある』(ちくまプリマー新書、2009年)を刊行して以来、専門の経済学以外に「独学」という勉強法の有効性について論じてきている。
この他、現在社会的知名度のある研究者や大学教授で、正規の学歴ルートを経ずして大学教授になったケースとしては、生命科学者の米本昌平氏(元東京大学先端科学技術研究センター特任教授)、経済学者の故奥村宏氏(元中央大学商学部教授・龍谷大学経済学部教授)、中小企業研究で有名な中沢孝夫氏(兵庫県立大学大学院客員教授)、民俗学者の赤坂憲雄氏(学習院大学文学部教授)等が挙げられる。
具体的にいえば、米本氏は京都大学理学部卒業後、学生運動を通じての大学やアカデミックライフへの不信感から、自分の専門分野とは畑違いの証券業界へと転身。名古屋の中小証券会社の調査部員として働く傍ら、京都大学時代の恩師の指導を受けながら、独学で生物学の研究を行い、学会誌に論文を発表した。
その結果、京都大学時代の先輩の紹介で、三菱化成の新設の研究所、三菱化成生命科学研究所の研究員として採用されることになった。その後、同研究所の研究室長、株式会社科学文明研究所所長として、科学史・科学論・生命論・環境問題等に関する著作を数多く発表し、専任ではないものの、東京大学先端科学技術研究センタ-特任教授・東京大学教養学部客員教授として活躍した。
彼の研究姿勢のユニーク性は、科学技術の社会的責任性を追求している点にある。生命科学を倫理的な側面から再検討していく視点、例えば、人類における優生政策を歴史的に俯瞰した上で、ナチス・ドイツにおける優生政策がユダヤ民族の大虐殺(ポグロム)を生み出してきたということの意味を問い直しているという点である(『優生学と人間社会』米本昌平他、講談社現代新書、2000年)。