【私らしく書く】「自分のこと」を書きたいが...人気エッセイストの「ネタ切れ」しないための習慣
エッセイのネタが尽きないようにする工夫
エッセイは日常のことを書きますが、人から「よくネタ切れしないね?」と言われることが多々あります。私の人生が他の人の人生に比べて事件が多いというわけではなくて、私は様々なことを、些細なことから大きなことまで、逐一記録しているから途切れることなく書けるのです。
Google ドキュメントに、スケジュール、その日あったこと、すべて記録しています。今日は何をした、こんな話をした、どんなものを買った、いま夢中になっていること、おもしろい人と、その観察日記、このような多種多様な情報をほぼすべて記録して残しているのです。
エッセイの依頼が多くなるにつれ、こんな工夫が必要だと思うようになりました。いわゆる、「ネタ」が尽きるのはわかっていましたし、すんなりと素晴らしい文章が頭に浮かんでくるとも思えませんでした。ですから、私は毎日、必死に仕込みをしているのです。
とにかく多くを記録していくこと。そのとき感じた心の動きも書いておくこと。このような詳細な記録のなかから、当時の自分の気持ちを上手に乗っけて書けそうな話をピックアップするのです。9割は使えません。残り1割から書く程度の打率だと思ってください。
訓練でネタと文字数がわかるようになる
この記録も、長年やっているうちに、ずいぶん楽になってきました。楽になったというのは、集めた情報から一本のエッセイを書き上げるのがうまくなったということです。前なら広げられなかったような広がりを文章に持たせることが容易になったのです。
それはつまり、書いた情報からピックアップできるものの割合が増えたということにもなります。掘り下げられるかをキャッチする視点が鋭くなったのでしょう。
エッセイにはその都度、依頼される文字数があります。たとえば、4000字と指示が出たら、4000字になりそうな情報を拾って、広げるのです。そんな作業がこの数年で上手になったと思います。この情報なら1800字くらいになるなとか、これなら2000字くらいかなとか、文字数によってイメージすることができるようになったのです。
これができるようになると、どんな文字数で指定されても、書けるようになります。昔はとてもできませんでした。
最初のエッセイの仕事は新潮社の「村井さんちの生活」でした。連載がはじまった頃は、2000字を書くのに2日くらいかかっていました。だって、2000字で完結するひとつの文章なんて、書いたことなかったですから。
いわば、それまで15秒のテレビCMをつくっていた人が、いきなり映画をつくるような話です。尺がまるでわからないのです。
2000字なら、いまは比較的すぐに書いてしまいます。とても速くなったし、2000字におさまる話の展開の仕方が身についたのだと思います。これは才能ではないです。完全に、繰り返し書いた鍛錬の賜物です。訓練あるのみだと思っています。
エッセイでユーモアを書く
どんなエッセイを書くか、蓄積した日々の情報のなかから選ぶときの基準のひとつはユーモアです。どんな悲惨な話のなかにも、おもしろいことが必ずひとつくらいはあるものです。「葬式の笑い」みたいなものです。そういうものを見つけられるネタを選んでいます。
やっぱり、おもしろい話が得意だし好きだから、私にとっては書きやすいのです。私は常におもしろい話を探しているような子どもでしたし、大人になってもそれは変わりませんでした。
後付けでおもしろく書いているのではなく、目の前で起きているときからすでにおもしろいなあと思って見ています。だって、おもしろいことって楽じゃないでしょうか? 深刻なことを考えているより、おもしろいほうが楽だと思います。
とはいえ、ギリギリのところを試しているような感覚はあります。笑いは行きすぎると残酷なところがあります。それは、やりすぎになります。『義父母の介護』(新潮社)も、最後の段階で削りました。連載時の原稿をまとめた一冊だったのですが、連載時の文字数では笑えた展開も、それが1冊になると徐々に笑えなくなってきます。つまり、笑いが多くなりすぎると疲れてしまうのです。
笑いも難しいところがあります。出すぎると毒になります。毒もまたシャープでいいのですが、エッジが立ちすぎてしまう可能性もあります。すべて理解して笑ってくれる人の数は減るでしょう。そんなことを考えながら、担当編集者と相談して、気をつけて調整しました。
『義父母の介護』では、担当編集者には、私の文章のなかに客観的に見て痛い表現があれば、全部指摘してほしいと伝えました。自分が暴走していないか、こう見えて常に心配しているのです。もし仕事相手が若い編集者なら、しつこいくらい頼みます。若い人だと私に遠慮して言いにくいかもしれないから、最初にお伝えします。