日本の郊外にあふれる「タダ同然の住宅地」 無責任な開発が生んだ「限界分譲地」問題とは
この富里市の分譲地に限らず、この時代に販売された分譲地は、いったんは完売しているのが常である。よほど特殊な事情でもない限り完売する。北海道の原野であろうとも。
各エンドユーザーの手に渡った区画が、その後の土地ブームの収束と地価下落で流動性を失った。家屋は建たず、活用されずに放置されているのだ。
空き区画には、小さな看板が立てられているところもある。「○○様所有地」と、所有者の姓と会社名が記載されている。
これは、遠方に住む土地所有者から委託を受けて、定期的に土地の草刈り・清掃業務を請け負う地元の管理会社のものだ。管理会社にはその土地の仲介業務も兼務するところもある。
先に紹介した新聞広告をもう一度見てみよう。見学バスの集合場所に総武線の西船橋駅が指定されている。こうした投機型分譲地の購入者は、ごくわずかな居住目的の住民を除き、その多くが東京や神奈川、埼玉などの関東全域の都市部在住者であった。
自分で足を運んで草を刈るのは負担が重すぎるということで、地元の管理会社に委託して土地の管理を長年続けている。
売りたくても、売れない
使いもしない土地の維持管理を続けるのか。無用ではないだろうか。草も刈らずに放置すると、近隣住民からのクレームがあったり、ときに不法投棄者のターゲットにされたりするリスクもある。
土地をうかつに放置できず、売れる見込みもないまま管理料を負担し続けているのが実情なのだ。
物件広告を見ると、千葉県北東部では今なお、膨大な数に及ぶ未利用分譲地の売地情報が掲載されている。しかし売り出し価格は実勢相場よりも高額で、数年にわたって買い手も付かず掲載され続けている物件も少なくない。
たしかに分譲当初の販売価格と比べれば安価だ。所有者としては精いっぱいの妥協をしているつもりなのであろう。だが今では、交通不便な僻地の旧分譲地。地元の相場観ではあまりに非現実的な価格である。
この分譲地のある区画には、すでにその看板は撤去されてしまったが、以前は所有者の自作と思われる売地の看板が立てられていた。
そこに記載された価格は44坪で20万円。広告記載の分譲価格は大卒初任給が5万円程度だった1972年当時で約200万円なので、額面だけでも10分の1まで下がっている。貨幣価値の違いを考えれば、それ以上の暴落と言っていい。
朽ち果てた空き家、火事になっても放置......
分譲地内には空き家が目立つ。
このエリアでは中古住宅の需要は旺盛なのだが、あまりに交通が不便なためなのか、高齢となった所有者が介護施設に入所したり、入院したりして使われなくなったのだろう。かといって売りに出されずに放置されている空き家もある。
問題はこうした空き家が放置され続け、取り壊すしかないほど朽ち果てた場合である。
この分譲地には1カ所、火災で半焼し、残骸が撤去されず放置されている家屋跡がある。千葉県北東部の限界分譲地では、半焼家屋すらも放置されるのが常である。
わざわざ費用を投じて解体・撤去しても再利用や売却が見込めない。また土地の実勢相場が、家屋の解体に要する費用をはるかに下回っていて元が取れないことが原因だ。通常の劣化による廃屋も同様だ。