「アジアのシリコンバレー」深圳に広がる暗雲 中国経済の未来を暗示か
デービッド・フォンさんが中国中部の貧しい村を出て、急発展を遂げる南部の深圳に移り住んだのは、若かった1997年のことだ。写真は深圳で食べ物の配達をするフードデリバリーのスタッフ。5月31日撮影(2022年 ロイター/David Kirton)
デービッド・フォンさんが中国中部の貧しい村を出て、急発展を遂げる南部の深圳に移り住んだのは、若かった1997年のことだ。それから25年間、外資系メーカーを転々とした末、通学かばんから歯ブラシまで幅広い製品を手がける数百万ドル(数億円)規模の企業設立にこぎ着けた。
47歳になったフォンさんには、インターネットに接続できる消費者向け機器を製造して海外進出する計画がある。しかし新型コロナウイルス対策で2年にわたってロックダウン(都市封鎖)が繰り返されたことで、出荷コストは上がって消費者心理は冷え込んでしまった。今では会社が存続できるかどうかを心配している。
「この1年、持ちこたえられればよいのだが」とフォンさん。高層ビルが立ち並ぶ街を見下ろす最上階のオフィスで、商品に囲まれながら「商売の正念場だ」と語った。
フォンさんの出世物語は、深圳そのものの歩みと重なる。
深圳市は、中国が経済改革に乗り出した1979年に誕生。経済特区に指定された同市は、農村が集まる地域から主要な国際港湾都市へと変貌を遂げ、中国の名だたるハイテク、金融、不動産、製造企業が拠点を置くようになった。
過去40年間は、毎年少なくとも20%の経済成長を記録。オックスフォード・エコノミクスは昨年10月時点で、2020年から22年に深圳が世界トップの成長率を達成すると予想していた。
しかし今では、米カリフォルニアのシリコンバレーにあるサンノゼにその地位を奪われた。深圳の今年第1・四半期の経済成長率はわずか2%と、新型コロナの第一波で中国経済が停止状態となった20年第1・四半期を除くと、過去最低となった。
深圳は今も中国最大の輸出都市ではあるが、3月にはロックダウンの影響で海外向け出荷が14%近く落ち込んだ。
深圳は長年、中国の改革開放政策の成功ぶりを示す都市と見なされてきた。習近平・国家主席は19年に同市を訪問した際、「奇跡の都市」と呼んだ。
オックスフォード・エコノミクスの世界都市調査ディレクター、リチャード・ホルト氏は、深圳は「炭鉱のカナリア」であり、ここが苦しくなることは中国経済全体への警戒信号だと指摘する。
ロックダウンで魅力あせる
人口約1800万人の深圳ではここ数年、地元を拠点とする大手企業が次々と災難に見舞われた。通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)は米国の制裁を受け、不動産開発大手、中国恒大集団は経営危機に陥った。
加えて3月には深圳その他の都市で新型コロナ感染対策のロックダウンが敷かれ、深圳で製造される製品への国内需要が落ち込んだ。