FRBの戦いは正しかったか
FRB議長は、どんな手を使っても大恐慌を回避すると決意した──「バーナンキ本」の著者に聞く、異例の介入策の舞台裏
金融市場と米経済にとって、そして両方を守る立場のFRB(米連邦準備理事会)にとって、この2年は混乱の極みだった。サブプライムローン(信用度の低い個人向け住宅融資)危機が世界規模の信用危機へ発展すると、ベン・バーナンキ議長の率いるFRBは前例のない対応を連発。公的資金で企業を救済し、金利を大胆に切り下げ、市場にてこ入れし、金融機関に直接融資をしてきた。
ウォールストリート・ジャーナル紙のコラムニスト、デービッド・ウェッセルが新著『われらはFRBを信じる──ベン・バーナンキと大混乱の戦い』でたどるのは、金融崩壊との戦いだ。本誌ダニエル・グロスが話を聞いた。
――あなたの新著は08年9月のリーマン・ブラザーズの経営破綻から始まる。
08年9月にバーナンキと財務長官(当時)のヘンリー・ポールソン、ニューヨーク連邦準備銀行総裁(当時、現財務長官)のティモシー・ガイトナーは誤算をした。彼らはその半年前にベアー・スターンズをアメリカの金融機関に売却したのと同じように、リーマンをイギリスの銀行に売却できると思っていた。しかし交渉はまとまらず、代案もなかった。
彼らは、市場はこのような出来事を想定しているだろうと思っていた。しかし違った。ある外国の中央銀行の銀行家は私に、「ヨーロッパではクリーニング店さえ倒産させない。FRBと財務省が大手投資銀行を破綻させるなど思いもしなかった」と言った。
――これを機に一連の事態が起こり、政府が前例のない形で金融市場に介入することになった。
金融システムは凍結した。体内の循環器系が急に固まって血液が流れなくなるような感じだ。そこでFRBが介入して強大な力を振るった。いわゆる「例外的で緊急の状況」にあるほぼすべての金融機関に、議会の承認なしで融資できる権限を行使したのだ。
グリーンスパン路線からの大転換
――本ではアラン・グリーンスパン前FRB議長を強く非難している。彼の大きな失敗とは。
今だから言えるのだが、FRBは低過ぎる金利を長く続け過ぎた。それ以上に非難すべきなのは、グリーンスパンが規制という武器を使わないと決めたことだ。市場は一連のリスクに対処する力を実際以上に持っていると彼が信じたことは、政財界のかなり多くの人に影響を与えた。
――この本は、バーナンキがグリーンスパンの陰から表舞台に躍り出るまでの物語でもある。彼は実際に自分の立場の変化を意識していたのだろうか。
そうだ。バーナンキは生まれつき内気だが、自信を秘めている。彼は常に中央銀行の在り方を考えてきた。議長に就任したときはグリーンスパンの方針を引き継ぎたいと語った。当時はそう言わなければ異端扱いだった。
しかしバーナンキは違うやり方ができると確信していた。彼に言わせれば、グリーンスパンは自らが中央銀行になろうとした。バーナンキは世間がFRBの分析や予測に対する論評を恐れず、議長の発言や考えをあまり気にしないようにしたいと思っていた。
そこに危機が起きて、議長の存在意義を理解した彼は方針を完全に変えた。自分の存在を強調し、経済に何が起きているかをより頻繁に、はっきり語るようになった。