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オバマのアメリカ
チェンジを掲げた大統領は
激震の超大国をどこへ導くのか
ビジョンの欠けたオバマの就任演説
経済危機の最中という非常事態であっても、政府の役割についての哲学は不可欠。オバマの演説に感じた「物足りなさ」は何だったのか
いまアメリカ合衆国大統領となった自分が描く理想の政府像とは何か。就任演説は、それを雄弁に語る絶好の機会だ。
1965年のリンドン・ジョンソンは、連邦政府の役割を広げようと呼びかけた。そうして経済的・人種的な不公正に立ち向かおう、「この偉大な富をもつ国に、絶望的貧困に生きる家族がいてはならない」から、と。81年、ロナルド・レーガンはこのジョンソン流の「偉大な社会」に異を唱える。「政府の肥大化をチェックし、逆転させる」と宣言した。
あいにくレーガン時代にも政府は小さくならなかったが、チェック機能は働いた。以後の歴代大統領も、政府を大きくしないという同じ路線を踏襲してきた。
89年のジョージ・H・W・ブッシュは富める者の自発的な「寛容」に期待し、93年のビル・クリントンは政府と国民の「新たな社会契約」を提唱し、国民の自己責任を強調した。01年のジョージ・W・ブッシュは、基本的に父の路線を引き継いだだけだ。
09年のバラク・オバマはどうだったか。「問題は政府の大小ではない、有効に機能しているかどうかだ」とオバマは言った。「国民が職に就き、適切な医療を受け、老後を安心して暮らせるよう、きちんと手助けしているかどうか。答えがイエスなら(その政策は)続ける。ノーならやめる」
主義主張にとらわれないオバマらしいアプローチといえる。私たちの耳にも、冷静で分別をわきまえた発言と聞こえた。
どんどん強大になる政府
とはいえ、就任式の陶酔感も薄れた今、あらためて演説を読み直してみると、一国を統治する哲学としてはいかにももの足りない。「なんであれ機能していればOK」というだけでは、政府の役割に関するビジョンと呼べない。
こうした実効性重視のリベラリズムでは、行動と意図、手段と目的が取り違えられかねない。この演説だけでは、最低限の年金支給や国民皆保険の実現、収入格差の是正が政府の責務なのかどうかもはっきりしない。