コラム

アラブ世界とBLM運動:内なる差別を反差別の連帯に変えられるか

2020年06月24日(水)16時20分

アフリカ系に限ったことではないが、アラブ諸国では移民労働者一般に対して「カファーラ制度」が適用されるケースが多く、その制度では就労には雇用主の同意が絶対的に必要で、転職や雇用主に対する異議申し立てができない。雇用主が生殺与奪の権利を握っているようなものだ。2018年カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したレバノン映画『存在のない子供たち』には、レバノンのエチオピア移民の悲惨な境遇が鋭く描かれている。

また、先住民でありマイノリティであるアフリカ系住民への差別という問題がある。これには北アフリカのアマーズィーグ(ベルベル)人が代表的な例だろう。モロッコからチュニジアまで、マグレブ諸国全域にわたり居住し、全体で1500万人近く存在するとされるアマーズィーグ人は、アラブ・ナショナリズム全盛時代、そしてそれを引き継ぐ歴代政権のもとで、「非アラブ」としてその文化的民族的権利を認められてこなかった。憲法で「国家のアラブ性」が強調されたり、アラブ名以外の名づけが禁止されたりして、非アラブ・マイノリティは劣位に置かれてきたのである。

ペルシア湾岸のアラブ諸国にも多くのアフリカ系マイノリティが住む。1960年代まで「奴隷制」が続いてきた湾岸首長諸国には多くの「元奴隷」の子孫がおり、たとえばサウディアラビアの人口の一割がアフリカ系だという米民間研究機関の報告もある。イラクに目を転じるとさらに歴史が遡り、8世紀後半に東アフリカやナイル上流域からやってきた者たちの子孫が、現在も南部のバスラ周辺に40万人近く住んでいる(当事者団体は人口150万と主張している)。そもそも、今のイラクに首都を置いていたアッバース朝では、9世紀後半にイラク南部のザンジュと呼ばれるアフリカ系奴隷による反乱が相次いたが、彼らはその子孫だと考えられている。

これらの中東のアフリカ系マイノリティは、いずれの国でも辺境化され、存在自体光を当てられぬままに放置されてきた。だが、近年、マイノリティとしての自覚を強め、権利要求を強めている。その契機のひとつが、「アラブの春」だ。「アラブの春」でベンアリー政権を辞任に追いやったチュニジアでは、2011年、チュニジア・アマーズィーク文化協会が設立された。その後同協会は、アマーズィーグによるものとしては初めての政党に発展し、「アラブ・ムスリム」性を強調したチュニジア憲法の改正を要求した。こうした動きは、アルジェリアやモロッコでのアマーズィーグの運動にも影響を与え、モロッコでは2011年に改正された憲法でタマーズィグト語(アマーズィーグ人の言語)を公用語として認めることが明記された。2016年からは、アルジェリアでも同様の公用語化要求運動が始まっている。

アラブ社会にも差別が存在する矛盾

面白いのは、アメリカでオバマ政権が成立したことが、イラクのアフリカ系住民の権利要求運動に影響を与えたことだ。バスラのアフリカ系イラク人は2007年に「イラク自由運動」という政治組織を結成したが、オバマ大統領の登場で権利意識を高めたといわれている。その指導者ジャラール・ズィヤーブはアメリカの公民権運動に影響を受け、マルティン・ルーサー・キングとオバマ大統領の写真を掲げていたらしい。2013年の地方議会選挙には同運動から立候補者を擁立したが、全員落選した。その直後に、ズィヤーブは何者かによって暗殺されている。

国際社会のなかで、欧米による「差別」を糾弾し続けてきた「被害者」としてのアラブ人。その一方で、アラブ社会のなかにマイノリティ、「黒人」への「差別」が存在する。その矛盾をどう乗り越えることができるか。差別の克服という一点で、両者が本当に「連帯」することは、可能なのだろうか。アラブ社会が「内なる差別」をいかに克服できるのか、という課題は、国連開発計画の「アラブ人間開発報告」がアラブ社会における女性の地位向上の必要性についてしばしば指摘してきた問題にもつながる。

そのような課題を抱えながらも、アメリカ国内ではアラブ系、ムスリム系を含めた人種差別に反対する連帯を訴える流れが生まれつつあることは、確かだ。「黒人の命を護るアラブ(Arabs for Black Lives)」の結成がそれである。またレバノンの活動家のなかには、カファーラ制度の廃止を求める運動に身を投じる者もいる。前述したレバノン映画「存在のない子供たち」が国際的に注目を浴びたとき、レバノン国内では、「なぜ自国の暗部を暴露しなければならないのだ」という批判があったという。

真のグローバルな「反差別」運動としてBLM運動が中東に定着するか、それとも従来同様に「自国の差別を棚に上げて欧米の差別だけを問題視する」か。昨年から再燃したアラブ各地での市民運動が、果たしてこの矛盾をどう克服するか。

【話題の記事】
・新型コロナ、血液型によって重症化に差が出るとの研究報告 リスクの高い血液型は?
・巨大クルーズ船の密室で横行するレイプ
・東京都、新型コロナウイルス新規感染29人を確認 5日ぶり30人下回る
・韓国、日本製品不買運動はどこへ? ニンテンドー「どうぶつの森」大ヒットが示すご都合主義.


プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ネクスペリアに離脱の動きと非難、中国の親会社 供給

ビジネス

米国株式市場=5営業日続伸、感謝祭明けで薄商い イ

ワールド

米国務長官、NATO会議欠席へ ウ和平交渉重大局面

ワールド

エアバス、A320系6000機のソフト改修指示 運
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 2
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 3
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 4
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 5
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 6
    「攻めの一着すぎ?」 国歌パフォーマンスの「強めコ…
  • 7
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 8
    子どもより高齢者を優遇する政府...世代間格差は5倍…
  • 9
    エプスタイン事件をどうしても隠蔽したいトランプを…
  • 10
    メーガン妃の「お尻」に手を伸ばすヘンリー王子、注…
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 4
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 7
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 8
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 9
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 10
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story